拡張現実は「人の心とつながる」ということ
井 ぼくが「電脳コイル」で最高にシビれたのは、おじいちゃんが出てくる「あの世」っぽいイメージがあるシーン(第18話「異界への扉」)なんです。
拡張現実(AR)的なものの中に「あの世との往来」を入れるというのは、ある種究極のシーンだと思ったんです。「ファンタジーさえも空間化されている」という発想に驚きました。
磯 正確に言うと、あのシーンは「仮想あの世」のようなものなんですよね。設定としては「人間の精神活動をマップ化した人物がいる」というものなんです。そのマップを仮想空間と重ね、情報を電脳物質化することで、通りかかるだけで「他人の心の中まで歩いていける」スペースが生まれる。
日本の「あの世」という発想も同じなんですが、電脳コイルで扱っているARの根本にあるのは「地続き」という発想、「歩いていける」ということなんです。古事記に出てくる「黄泉比良坂(よもつひらさか)」でも、イザナギは坂を走って往復しますよね。
途絶えてしまったと思ったネットワークが実はつながっている。全編に渡って扱っているテーマの1つがそれなんです。たとえ仮想の世界でも、相手の心は本物です。だからそこまで歩いていければ、必ずつながれるのではないかと。
井 いや、いいですね! 地続きという点ではセカイカメラもそうなんですよ。チョモランマに登った人でなければ、チョモランマの頂点に貼られたエアタグは見られないですよね? SNSで有名人とつながることはできても、セカイカメラでは実際にそこに行かないといけない。ただ、その地に本当に出掛けてエアタグに遭遇できれば、ある意味で他人の人生を追体験できます。
磯 やっぱり「場所」ですよね。現実にある場所を通過しないとアクセスできない情報がある。ただ、セカイカメラの場合も、初めは誰でも行ける環境になると思うんです。そこに一体何があるのか、それが重要なんだと思います。