日常と非日常を分けるな
宇川 もうひとつは「体験と日常」ですね。体験も日常も現実の一部なんですけど、例えばクラブ──パーティでの体験って、「非日常」という感覚じゃダメだと思うんですよ。
野村 あ、ダメ?
宇川 ダメだと思うんですよ。あれをどう日常の一部に組み込むか。だから日常とパーティを分けちゃダメ。それで、日常こそパーティの一部なんだと思わないとダメなんですよ。
例えば、仕事ってある側面から言ったら過酷なものじゃないですか、クライアントの要望に応えなきゃいけないとか。でも、それを過酷なものと捉えて、週末、ストレスを発散するためにパーティに行って踊るんじゃダメだと思うんですね。その時に踊って体験したことを、日常に持ち帰らないといけない。ティモシー・リアリーが言ってる「サイケデリック体験をどう日常へ持ち帰るのか」と一緒です。切り離しちゃダメなんじゃないかな。
野村 そうじゃないと、ものを作っていけないという。
宇川 そう。「ハレ(晴れ)とケ(褻)」じゃダメというか──。「ハレの日」「ケの日」ってあるじゃないですか、祭りの根底の概念として。「ハレの日」は騒ぐ、「ケの日」は日常に立ち返る。ずうっと「ハレの日」にして、どうやって自分の意識を上げていくかということですね。
野村 結構、それはまた……。
宇川 超大変(笑) 訓練が必要ってことなんですけど。さっきのは全部「入出力」に関わってるんで、そのフィードバック装置を身体機能の一部として、持ち備えるということが重要だと思うんですよ。夢を叶えるには。「空想・現実の入出力」「情報・行為の入出力」「体験・日常の入出力」。ここだと思うんですよ。
野村 そこを常に宇川さんは頭に入れて。
宇川 多分。こうインタビューを受けて初めて振り返って判るんですけど、無意識にやってるんだと思うんです、それは。
野村 膨大な、フィードバックを受けたものを出し続けるから、作品をいろんな形で出していけるという。
宇川 そういうことかも知れませんね。
作品にどう活かされたかということなんですけど、例えば……畳部屋でのインスタレーションで、ついこの間これを再演したんですよ。東京都の写真美術館で、わざわざ畳部屋作って。これ何かと言ったら、昭和のたたずまいを持ったワンルームですよね、六畳一間の。
宇川 「ラッドミュージシャン」ってブランドご存知ですよね。あそこは民家を改造していたので、上に畳部屋があるんです。そこをギャラリーにしたからこのインスタレーションを始めたんです。何かといったら、昭和のアーカイブ史を再現していると。これとウルトラマンが何に繋がるのか。あのウルトラマンの映像がこの中にあるんです。(奥に積み上がった)ビデオの一部に入ってるんですよ。
これは面白い話、家電の映像史をさぐることにもなってて、「ラテカセ」という、ラジオとカセットデッキとテレビが合体した機材のことなんですけど。
野村 ハンディなんだか何だかわからないという。
宇川 マイクロカセットのウォークマンが付いて、テレビが付いているんですよ。ムチャクチャでしょ。ここウォークマンで、押したらぽーんって出てくるんです。取り外し可能。
この時期は、ビデオデッキがまだ浸透してなかったんです。ビデオデッキって70年代に入ったころにあったんですけど、それまで人々の手に渡ってなかったんですよ。80年代になって定着するんですけど。70年代の後半からこういう機材がたくさん出てくる。
かつてテレビはお茶の間で複数人と共有するものだったじゃないですか。家庭でテレビを見る、「チャンネル争い」って言葉があったくらいで。「チャンネル争い」なんて言葉、今はもう無いでしょ。あるわけないですよね、1人1台だし、ラップトップでテレビ見られる。
でも、かつてはあったわけですよ、家族で共有する……お茶の間の中心にあった主役だったわけですね、テレビは。そこからテレビが小型化して、個人のものになっていくと。で、勉強部屋にテレビが入る瞬間というのは、ラジカセは(親が)買ってくれるけどテレビは買ってくれなかった。
野村 ダメでしたねぇ、変なもの見るとかいうんで。
宇川 そうそう、「11PM」とか見るとか、「エマニエル夫人」の日曜洋画劇場見るとかって思われて。
野村 電源入れるのに苦労しましたからね。バレるんですよ。
宇川 朝起きて4チャンネルになっていたら「11PM、夜見てただろう」みたいな。チャンネルがそこに止まってたら。そういう時代だったと思うんですけど。