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【特別対談】二大企業の重鎮が語る、アップルへの提言――第1回「MacのCPUは何でも構わない」

2006年04月10日 19時37分更新

文● 林 信行、編集部

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Macとの長くも深い付き合い

――おふたりは、アップルのライバルと見られがちなインテルとマイクロソフトという会社にいながら、Macと深い関係を持ってこられたという話ですが……。


【西岡】 私は、そもそもパソコンを使い始めたのが遅いんですよ。シャープで研究所の所長をしていた時代は当時のパソコンでは研究用としては能力不足だったので、若い頃からずっとメインフレームや米DEC社の『VAX』*1のようなワークステーションを使っていました。

パソコンに興味を持ったのは、そのCPU性能がインテルの286で1MIPSを超えてからです。研究所全体のドキュメント作成・管理に、米ゼロックス社のパロアルト研究所で誕生した『STAR』*2の日本語版を導入して、多人数が文書をネットワークで共有するという当時の最先端的なユーザーでしたが、パソコンはまだ使い物にならないと無視していました。

Macを知ったのはコンピュータ事業部長としてパソコンの責任者になったときですね。もちろん、開発対象はインテル系のDOSマシン。286から386、386SLと進化するCPUを使っていろいろとパソコンを開発しました。その時代に敵側のパソコンとしてアップルを知り、購入して使ったんです。それがアップルとの馴れ初めですが、いいマシンだなと思いましたね。

マイクロソフトと違って初めからネットワーク対応が出来ているし、ソフトもセクシー。当時、Macは私にとっていい勉強材料でした。そのうち、アップルと極秘プロジェクトを進めることになって、その時にもMacを使っていた経験が役に立ったんですよ。そのほか、家内の友達に「パソコンは何がいいか」と聞かれてMacを勧めたところ、あとですごく感謝された、なんてこともありました(笑)。

古川さんともその時代に出会っています。当時は日本電気(株)の“PC-98”シリーズ*3の独壇場で、マイクロソフトにとっても日本電気が最大の顧客なのに、それに競合する世界標準規格を日本に作ろうと声をかけてくれて、驚き、共鳴して、私もAX協議会の運営委員長として98打倒に邁進したんですよ。古川さんは日本のパソコンの父ですね。


【古川】 私とMacの関係を語り出すと長くなってしまいます。昔、アスキーのアスキー・ラボラトリーという所にいたときに、そこでMacの前身にあたる『Lisa』*4を使っていました。

Macのデビューとともにソフトを発表する開発社が3社選ばれていて、マイクロソフトもその一社だったのですが、当時、シアトルの本社ビル(ベルビュー市のダウンタウンONBビルの8階)の秘密の部屋に、開発途上のMacが置かれることになったんです。

むき出しの基板にマウスがつながっていて、どんな形の製品になるのかもわからなかったけれど、電源を入れた途端にポーンと音がして、Happy Macのアイコンが出てきたときに「まいった!」と思いましたね。

初代Mac発売の日に、たまたま米国にいたこともあり、すぐにMacを買って帰りました。マイクロソフトもデビュー当初からMacの一大サポーターだったので、日本のマイクロソフトの創業当時は、MacとAXパソコン(日本語に対応したPC/AT互換機)を両方並べて使っていましたね。


【西岡】 私はその横に、シャープのワープロ書院も並べていましたね(笑)。



*1 VAX
1976年に誕生した、小型冷蔵庫ほどの大きさの32bitのミニコンピューター。端末コンピューターからネットワーク経由で利用する。開発は米デジタル・イクイップメント社(DEC、後に米コンパック社が買収)。初めて仮想記憶を実現したVMS OSや、初期のBSD/UNIXが動作した。

*2 STAR
ゼロックスが発表した事務用のワークステーション。LisaやMacよりも先にウィンドウ、アイコン、マウスポインターによる操作を実現していた。

*3 PC-98シリーズ 日本電気(株)が1982年に発表した16bitパソコンシリーズ。日本語表示に必要な16bit処理にいち早く対応したことやブランド力で、当時は50%以上の圧倒的なシェアを誇っていた。

*4 Lisa アップル社がMac登場の前年に発表したビジネス用コンピューター。ウィンドウ、アイコン、マウスポインターによる操作環境をいち早く実現し、20分で操作を学習できるという触れ込みだった。

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