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2001年はどんな年?

2001年12月29日 11時19分更新

文● テンアートニ 佐藤栄一

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年末年始恒例の、過ぎ去る一年を振り返る内容でお届けします。もうすでに忘却の彼方に消えていった話題も数多くありますが、ここは独断と自画自賛でお届けします。年末年始のひと時、仕事や宿題を忘れて、リラックスしてお読みください。

カーネル2.4の普及

さて、2001年は、カーネル2.4(2001年1月31日に2.4.1)のリリースで幕開けとなりました。その後も順調にバージョンアップを重ね、2001年末(2001年12月21日)までに2.4.17まで進みました。ディストリビューションもバージョン番号では判りませんが、ext3の採用やUSB対応強化など、1年で大きく拡張されています。

Linuxに半信半疑の方は、「ソフトウエアがバージョンアップするのは当然じゃないか」と思われるかもしれません。Linuxは、それだけではありません。実は、古いカーネルもちゃんとメンテナンスが行なわれています。2.0系(2001年1月11日に2.0.39)や2.2系(2001年3月25日に2.2.19)がリリースされています。この辺は、サポート終了で、反感を買っているどこかの企業とは雲泥の差です。

プレステーション 2でLinux

2001年の前半のホットな話題にプレステーション2のLinuxキットが挙げられます。発売前から注目の的だったので、あっという間に売り切れとなりました。その点では、正に「幻のマシン」とも言えます。

そういえば2001年は、その他にも「○○にLinux」という商品も多かったです。これは、PC以外のマシンでのLinux利用が活発化した現れといえます。特にPDAでは、メーカーからサードパーティまで話題に欠くことはありません。当社でも、PDA(Compaq iPAQ Pocket PC 3630/3660)上で、Linuxを利用できるキット「Melon」を発売しました。

IT革命からIT不況へ

2001年前半は、「IT革命」などと鳴り物入りで騒がれたのですが、4月頃から一転して「IT不況」などといわれるようになりました。米国では、確かにネットビジネスに対する過剰な期待の反動で、影響を受けた企業も多かったと思います。

しかし、日本は、「大手電気メーカーのリストラ=IT不況」のイメージとなっています。本来の「IT」業種とは、かなりブレがあります。日本も「IT」に景気回復の期待を掛けていたので、その反動とも言えません。認識の違いとは言え、世間から「不況」と呼ばわりはいい気がしませんね。そういえば、2001年始めは、「IT」を「イット」と呼んだ方が総理でしたね。

セキュリティの浸透

2001年は、セキュリティ面でも騒がしい年となりました。「Code Red」などのWindowsをターゲットにしたワーム騒ぎ、感染したWebページを参照しただけで感染する「Nimda」、後半は InternetExplorer/OutlookExpressをターゲットにした「Badtrans」「Klez」「Aliz」などが蔓延しました。IPAの届出数を見ると2001年前半は、減少傾向でしたが後半は2000年を上回り増加しています。そのおかげで、すっかり企業でのセキュリティの必要性が定着したといえます。2002年は、ADSLなどで急速に増加している個人PCのインターネット常時接続で、セキュリティ対策が問題化するのではないでしょうか。

クラスタリングシステム花盛り

これまで、Linuxは、Webサーバなどのインターネット関連サーバとして確固たる地位を築きました。2001年は、2000年から続くクラスタリングブームが、本格的な展開を見せた年といえます。商用利用に耐えられるLinux上のクラスタリングシステムが、提供されるようになりました。LinuxWorld Expo/Tokyo 2001(5月30日から)のでも、多くの商品を見かけました。

ちなみに当社では、フェールオーバータイプの「LifeKeeper for Linux」とロードバランシングタイプの「StoneBeat」の2種類のクラスタリング製品を提供しています。詳しくは、当社Webサイトにて。

リーナス氏来日

2001年は、有名人の来日が相次いだ年でした。我らがLinuxの生みの親、リーナス・トーバルズ氏も2回(もっとあるでしょうか)も来日しました。著書、「それがぼくには楽しかったから」もヒットし、さらに一般の週刊誌の表紙になるほど、社会的な注目浴びました。

2001年が押し迫って、12月には、リーナス・トーバルズ氏とGNUでお馴染みフリーソフトウェア財団のリチャード・ストールマン氏、さらにTORNの坂村建教授のスリーショットという豪華なシーンもありました。個人的には、アラン・ケイ氏の来日にも感動しました。

新たな世紀の第一歩となった2001年は、良くも悪くもこれまでの価値観とは大きく異なった年となりました。毎回、過ぎ去った1年を振り返ると「激動の年」と表されるのですが、2001年は正に当てはまるのではないでしょうか。

2001年がこうですから、2002年を展望するのは難しいのですが、ひとつ確実なことがあります。2002年1月1日より、新生テンアートニがスタートします。旧テンアートニとノーザンライツ・コンピュータが持つそれぞれの持ち味を活かして、強力なLinux企業としてスタートします。勿論、JavaによるWebソリューションならびにEmbedded Systemも活発に展開します。また、クラスタリングソリューション、Zendプロダクト(PHP)などもよろしくお願いします。

最後は、自画自賛となりましたが、2002年より新生テンアートニをよろしくお願いいたします。

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