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ブロードバンドの屋台骨 「メトロ」を完全解剖

ダークファイバに灯をともせ!─動向編

2001年04月12日 08時21分更新

文● データコントロルズ 島田仁志

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 こうした光ファイバ網の開放が始まったのは、決して最近というわけではない。過去から現在に至るまで、全世界どこの国も電話会社は独占企業の典型であった。しかし、FCC(連邦通信委員会)の強い意向によりいち早くダークファイバの開放を行なった米国は、通信会社同士が激しい競争を行なうことで本格的なブロードバンドサービスへの離陸を成功させた。

 今から17年前の1984年、通信業界の超巨人であった旧ベル電話会社は、それぞれの町や地域に存在する数多くの小さな地域電話会社と、それらの間を中継するいくつかの長距離電話会社に細分化された。これらの分割により、各電話会社はサービス方法や料金を大きく変化させざるをえない状況に追い込まれた。壮絶な市場競争の始まりである。

 独立した小さな電話会社は生き残りをかけて、新しいサービスやユーザーへの付加サービスを模索し、携帯電話会社、CATV会社、石油パイプライン会社、ネットワーク機器会社、などと共同事業を始めた。ある電話会社では石油の採掘ができずに余ったパイプラインをエネルギー会社から借り受け、この中に光ファイバを通し、フレームリレーなどの通信サービスを実現した。また、デスクトップATMやFDDIによるビル間接続サービスもあった。このように小さな通信業者たちは統合や吸収合併を繰り返し、その過程で数多くの新しい形の通信事業を生み出してきたのだ。結果的に、こうした流れが今日の米国の技術革新を支える原動力になっている。

 そして、もとより専用線が発達していた米国では、ISDNはあまり普及せず、xDSLやCATVインターネットなどのブロードバンドサービスがあっという間に普及した。また、第1世代のメトロポリタンエリアネットワークは10年以上前からすでにスタートしており、4、5年前からダークファイバの本格的利用が急速に立ち上がってきた。米国やカナダでは、小さな町や地域の電話会社が光ファイバ網を使ったインターネット接続サービスを提供し、大きく成長している。

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