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【連載コラム コンテンツレビュー】菅谷明子著「メディア・リテラシー -世界の現場から-」

2000年10月16日 20時33分更新

文● アスキー WEB企画室、早稲田大学客員教授 中野潔

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メディア教育を鏡にして市民社会の成熟度が見えてくることを、ビビッドな文章の中から感じさせる直球

メディア・リテラシー -世界の現場から- 菅谷明子著

本書は、米、英、カナダにおけるメディアリテラシー教育について、取材記を中心に据えて、分析している。報道レポートに近い文章の中から、教員たちの意気込みや抱える悩みが伝わってくる。そして、教育現場の描写の中から、直接声高には論じていないのに、その国の市民社会と政治の成熟度が浮き彫りになってくる。ニュース調の直球なのに、グローブで受け止めると著者の思いがズバンと響くのは、球質ならぬ筆質というものなのだろう。

諸手を上げての歓迎はないメディア教育

1年半ほど前のことになるが、評者(中野)は、横浜市の南部にある“地球市民プラザ”という施設で、立命館大学の鈴木みどり教授のメディアリテラシーに関する講演を聞いたことがある(講演の模様をニュースにして'99年1月22日付のascii24に今年夏まで掲載していた)。今秋、ある用件で、本書の著者、菅谷明子氏と電子メールのやりとりをしていたら、同じ講演会の場に菅谷氏がいたことがわかった。受講者が20名ほどだったから、飛行機でいえばニアミス(別に誰がミスしたわけでもないのだが)といったところか。

前述の電子メールでのやりとりの中で、菅谷氏は、菅谷氏のいうメディアリテラシーがコンピューターリテラシーとは異なるということについて、念を押した。本書を読むと、その違いが、よくわかる。この2つの概念は、まったく違う。

本書に出てくる米国、英国、カナダなどにおける高校におけるメディアリテラシー教育の様子を読むとうらやましいかぎりである。もちろんどの国においても、メディアリテラシー教育が教育現場の人々、あるいは、教育政策に関与する人々の多くに支持されているわけではない。

メディアリテラシー教育の本質に、“テレビや新聞で流されることが中立なのか、正しいのか、偏っていないのか--を情報の送り手側の事情も考え合わせることで、読み解いていこう”という態度がある。これは、突き進めれば、政府の提唱することは真実か、さらには、教師の教えることは真実か--という疑問に時をおかず発展する。教育政策担当者、また、教員の中にも、メディアリテラシー教育に批判的な勢力が出てくることが容易に想像できる。

そうした逆風が吹く中であっても、メディアリテラシー教育の必要性を説き、その教育をバックアップする組織を作り、実際に、教育現場でメディアリテラシー教育を根づかせていった各国の人々がいる。その存在と、その存在を支援する社会の人々の存在が、評者にはうらやましい。

各国の経済的背景とも関連

ニュース週刊誌の編集部に長く在籍しただけあって、著者の菅谷氏の文章は、余計な修飾を入れない簡潔でスッキリとしたものである。それが、メディアリテラシー教育の前線の教員たちの、意気込みと悩みを率直に伝えてくる。生徒側の喜びととまどいも同様である。2年、3年といったレンジでも揺れ、国や地域や学校固有の事情でも、振れる……。確立された分野と異なる、新しい学問の、時代とともに、こけつまろびつ歩む姿がそこにある。“序章 世界に広がるメディア・リテラシー、第1章 イギリスに根づくメディア教育、第2章 カナダに広がるユニークな実践、第3章 アメリカの草の根メディア活動、第4章 デジタル時代の「マルチ」メディア・リテラシー”と、論が進んでいく。いずれも小中高校での教育を、主な取材対象にしている。

評者が面白かったのは、イギリスやカナダにおけるメディアリテラシー教育の、米国との違いだ。英国では、“English”(日本での“国語”に相当)の時間に、メディアリテラシーの学習を設けている。英国映画協会が、教材開発、教員トレーニングなどにおいて、全面的に協力している。

メディアリテラシー教育では、どの国でも、生徒たちがビデオなどを自分たちで作ってみることで、テーマ選び、企画、取材、撮影、編集、演出といった行為を体験しようという課程が取り入れられている。“絵になる”風景だけを取り出す傾向、番組の結論に近いコメントだけを取り出す傾向といった、作り手の都合を生徒も自分で感じる。テレビ局など作り手の意識を垣間見ることで、今後の自分の視聴がより客観的になることが期待できるのである。そうしたビデオ制作実習のためには、教員トレーニングが不可欠で、英国映画協会は、そこも支援している。

英国映画協会は、半官半民の団体である。英国政府が支援し、その活動が活発化する背景には、英国文化固有の構造がある。米国のハリウッドやテレビ対英国文化、書き言葉文化対映像文化、高級紙対大衆紙、映画対テレビとキーワードを列挙すれば、教育や文化の政策担当者や産業界や教育界が、何とかしなければと立ち上がる気持ちは想像できる。

カナダは、英国と並ぶ、あるいは、英国以上のメディアリテラシー教育先進国である。カナダの小学校での“Language”あるいは“English”(同じく日本の“国語”)は、“読む”、“書く”、“口頭と映像によるコミュニケーション”の3本柱からなっており、メディアリテラシー教育が義務付けられている。カナダで、こうした教育が盛んになった理由も英国と似ており、さらに切実である。カナダ人の約9割が米国との国境から300km以内に住んでおり、米国テレビ放送の豪雨にさらされている。世界一の商業主義的テレビと真正面から対峙せざるをえないのである。

本書の取材対象にはなっていないが、翻って日本の現状……。日本一の新聞・テレビ複合体の総帥は、与党領袖間の政治折衝を取り持ったことを自慢の種にするような人物だ。政治指導者は、一部の人を除いて有権者が寝ていてくれれば--といったことさえ公然とうそぶく。知らしむべからず、よらしむべし……。メディアリテラシー教育の普及で、メディア側、権力者側の主張の嘘が“読み解ける”市民が増加することなど、彼らにとっては迷惑でしかないのだろう(メディア側と権力者側とをひとくくりにしても記述の間違いにならないところが、前出の総帥の存在を許す日本の危うさだ)。失われた10年のあと、さらにこの先数年を失ってしまいそうで怖いと感じるのは、評者だけだろうか。

メディア・リテラシー -世界の現場から-

菅谷 明子 著

岩波書店 (岩波新書) 新書判 252ページ 660円+税

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