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【HCDP2000展Vol.2】“wet”なインターフェースのデザイン

2000年09月11日 22時46分更新

文● 船木万里

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世田谷文化生活情報センター“生活工房”(キャロットタワー)において、9月7日より“HCDP2000展コミュニティの未来デザイン”が開催されている。8日、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ教授の石井裕氏により基調講演が行なわれた。また基調シンポジウムは、石井氏に加え、武蔵野美術大学教授の柏木博氏、名古屋市立大学教授の川崎和男氏を迎えて行なわれた。生活工房内の情報プラザとワークショップルームでは、引き続き10月1日までプレゼンテーション展示も開催されている。

左から、武蔵野美術大学教授の柏木博氏、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ教授の石井裕氏、名古屋市立大学教授の川崎和男氏

既成概念を打破して新しいデザインを

基調シンポジウムのテーマは“インターフェースとしてのデザイン”。最初に柏木氏がコミュニケーションとデザインの問題について語った。

柏木氏は、近代社会の発展と様々なモノとの関係を考える“デザイン批評”分野の第一人者。コミュニケーションは何のために行なわれるのか、と考えたとき、文字を書くという行為は、最初は相手に何かを伝えるための身ぶりであったものが、印刷やキーボードを介することによって“身ぶり”が失われてしまったという。

「デザインの問題は言葉の問題、つまりコミュニケーションの問題につながっていく」と語る柏木氏

石井氏の『Clear Board』(※1)は、その身ぶりの言語を復活させるためのものであったとも言える。商業デザインにおいて、例えばテープレコーダーの録音再生スイッチのデザインなどは変わらない、保守的なものになっている。これは、クラッシュして使いモノにならない状態になるまで、コンピュータープログラムを変えようとしないのと同じ現象で、そこを打ち壊していかなければ新しいものは生まれてこない、と柏木氏は語った。

※1 “遠く離れた空間をつなぐ空間拡張のデザイン”として、'91年ごろに石井氏がNTTヒューマンインターフェース研究所で設計した装置。ガラス板をへだてて話しながら、両側から絵を描くというコンセプトのもとにつくられたもので、スクリーンには描いた絵と相手の上半身映像が映し出され、離れていても、スクリーンのすぐ裏側にいる相手と話しているような状況を作り出している

一方、川崎氏は「私はあちこちのシンポジウムなどでケンカをふっかけることで有名になっている。MITがキライという発言をしたことから、今回は喧嘩師として呼ばれたのではないか」と会場の笑いを誘った。

川崎氏は、デザインディレクター、および医学博士としてデザインの各分野で活躍。最近は人工臓器、軍事関係の分野でも大きな功績を上げている。現在のデザイン界では、tangibleなモノをつくることは難しく、大学でデザインを学んでいても結局ホームページ作成の仕事などに就いてしまう学生が多いと嘆きつつ、「石井さんはアメリカに置いておくには惜しい、素晴らしい人材なので、早くMITから日本に連れ戻さなくては日本の損失となる」と、石井氏へのエールを送った。

進行役の柏木氏に「どういうモチベーションをもって、“タンジブル・ビット”という概念を実現させようとしているのか」という質問を投げかけられた石井氏は、「業績を名前で残したいとは思わないが、死ぬまでに何か世の中に役に立つものを残していきたい、という気持ちから開発に取り組んでいる」と答えた。

石井氏は、さらに現在のコンピュータ業界がみな同じイメージをもって開発を行なっていることへの違和感を語り、「ピクセル、キーボード、マウス、この形態しか考えられなくなっている現在の状況を変えていきたい。みんな同じ概念ではなく、違った未来があってもいいのでは」と、全く違うパラダイムを提案することの重要性を協調した。

石井氏の手前にはデジタル積み木『トライアングル』、ノートパソコンの上にはそろばんが置かれていた

MITにおいても、学生たちに「100年後、どういうふうに自分が思い出してもらえるかを考えろ」と訴えると、知的飢餓感を持つ20%ほどの学生、特に生活環境が過酷だったボートピープルだった留学生などが真剣に考えてくれる、と語った。

人間の身体的で“wet”な部分を認めること

柏木氏は「現在、お金儲けばかりを考えるITバカが蔓延して、実体のない世界が繰り広げられているが、石井氏の研究は、そういう世界とは全く逆方向。タンジブルなインターフェースにおいては、感覚とデジタルをいかにシームレスにしていくのかが大きな課題となる。今、モニターを“紙”に戻したいという研究も進められている。我々は、モニターはブラウン管でいいという意識を変えられずにいるが、実はモニターは紙というメディアを今も超えられずにいる」と指摘した。

これに対し川崎氏は、「ものの形の持つアフォーダンスにおいて、デザインの役割は何かと考えた場合、私はマクルーハンの提唱した“hot”、“cool”の概念に引きずられていたように思う。実際的には、肌に感じる温度現象であって、このメディア論のため“wet”なものを見失い、すべてが“dry”になってしまった」と述べた。ドライな感覚でなんでも割り切ってしまうと、新たな造形は生まれてこない。感覚を視野に入れたデザインは今まで存在しなかったものだが、今後は“wet”の概念をもって造形言語を作り出していきたい、と意気込みを語った。

近代デザインにおいては、ユニバーサルなスタイルづくりを目指してきたが、それが逆に、技術の進歩によって人間の感覚や意識も変革するという技術決定論として受け取られ、批判の対象となっている。石井氏は、何でもかんでもデジタルで、と考えることにより、逆にトラップに陥っている、と現在のデジタル技術開発の問題を指摘し、デジタルの本当の意味や制約を認識し、人間の身体的な“wet”な部分を認めて、微妙なニュアンスを伝え合うという社会的なリレーションシップを重要視することこそ、本質的なコミュニケーションにつながる、と語った。

「21世紀に入ろうとしている今、“wet”な造形言語を作り出していかなくてはと、少し焦りを感じる」と川崎氏

柏木氏は、最後に「このごろはCADでクルマをデザインし、コンピューターで材料を削って、モデルを作り上げることができるようになって、クレイから離れてしまった。しかしそうなると今度は石井氏のような新しい考え方が出てきて、結局手でこねてつくっていくことの大切さに気づきはじめ、クレイに戻っていく。技術の進歩によって、逆にそういう身体的感覚の重要性に気づき始めたというのは面白い現象だ。石井氏の今後の研究に期待している」とまとめた。 

約1ヵ月にわたるプレゼンテーション展示も

“HCDP2000展コミュニティの未来デザイン”と題し、9月7日から10月1日まで、世田谷文化生活情報センター生活工房各階において、プレゼンテーション展示が行なわれている。HCDP(Human-Centered Desighn Project)の企画によるもの。

“HCDP2000展 コミュニティの未来デザイン”の企業展示。モニターには各企業の未来社会やライフスタイルのビジョンが映し出されている

まず9月7日から10月1日までは、4階ワークショップルームにおいて、企業による先進的な製品開発のコンセプト、プロトタイプモデルなどが展示される。また3階の情報プラザでは、“衣と医”と題し、健康的な服や医療的効果のある衣服などについて展示。

9月19日から10月1日までは、3階情報プラザにおいて早稲田大学野呂研究室による“チェアクリニック&デザインスタジオ”が開設される。体を基本に考えてつくられた椅子の展示、椅子と体の関係を調べる装置を用いた測定を行なう“チェアクリニック”、トーク&デモンストレーションが行なわれる予定。

未来的ワークスタイルの提案。“囲炉裏スペース”は、囲炉裏型のディスプレイを囲み、座椅子を自由にディスプレイするというもの
難聴者用音楽補聴ヘッドホンシステム。微妙な振動により、音楽のニュアンスを伝える

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