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“起業塾”に寄せられた先駆者のメッセージ。“ベンチャー2000 KANSAI”(その2)

2000年09月06日 13時09分更新

文● 服部貴美子 kimiko@oct.zaq.ne.jp

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大阪国際会議場の各フロアーを使用して行なわれた“ベンチャー2000 KANSAI”には、メインホールでのシンポジウムと並行して、ターゲットを絞ったパネルトークもプログラムもあった。

初日の9月4日の午後からは、(株)ジャストシステムの浮川初子専務と環境マテリアル(株)の野田由紀子社長を迎えて“女性向け起業家塾”が開催された。司会は、日本ベンチャー学会の田村真理子事務局長。

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司会の田村氏は、日経BP社“日経ベンチャー”などを経て現職。『女性起業家たち』(日本経済新聞社)などの著書をもち、女性と起業についてはパイオニア的な存在

結婚、技術力、人脈、出会い……起業のキッカケや原動力は人それぞれ

ジャストシステムは、人気のワープロソフト『一太郎』などを産み出した、年商約170億(2000年3月期)のベンチャー企業である。大学では電子工学を専攻し、高千穂バローズ(現・日本ユニシス)でミニコンシステムなどを開発していた浮川氏が、夫の浮川和宣社長とともに'79年に独立創業。以来、順調に成長を遂げているように思われがちだが、マイクロソフトがOSとソフトウェアをセット販売するようになったことで辛酸をなめた。

「それまでは、高シェアということもあり、マス戦略をとっていた。それを、セグメント戦略へと転換し、ランゲージテクノロジーを製品化するという従来の強みを発揮して、各セグメントで優位性と独自性をうちだしていったことが、現在の業績につながっていると思う」と浮川氏。パソコンが一般家庭にまで広がることを予測して、マニア向けでない、“わかりやすい”、“使いやすい”、“楽しい”という三拍子そろったホームユースの製品作りで、見事に復活した軌跡を振り返った。

一方の野田氏は、最初からマテリアル関連の仕事を志していたわけではない。銀行勤務の経験を生かして、コンサルタントとして独立したが、日本企業の欧米流の交渉に対する無理解などから仲介業務で行き詰まるケースが多く「ストレスを感じはじめていた」という。ちょうどその頃、とある講演会で「カラーストーンという特殊舗装技術をもっている会社があり、仲介できればという気持ちで話をしたところ、奈良にある別の企業の目にとまり、自分で手掛けることになってしまった」のが、'98年の会社設立のきっかけだ。野田氏いわく、「関西の方が、そうした出会いについてポジティブなのでないでしょうか?」

地域や性別は起業のハンデにはならない。自分の強みを磨き、スピーディに行動を!

起業するということは、雇われる立場から雇う立場へと変わることでもある。現在、野田氏の会社には、日米合わせて5名の従業員がいるが、「すべて女性ばかり」と言う。「日本の大学は、実践的な教育をしないため、技術者を育てようと思うと、入社後の研修が必要。3年かかったとしても、女性は結婚や出産のタイミングが来て、退職してしまうことも多い。だから、女性を雇えないという企業側の言い分もわからないではない」(浮川氏)という日本の大企業の慣習があるからこそ「男性は、企業にしがみつくし、女性の下で働くことに抵抗を感じるケースがほとんど。というわけで、優秀な人を探したら女性だった」(野田氏)というのも、当然の結果かもしれない。

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米オフィスでは、現地スタッフの採用も考えた野田氏だが、「マーケットとする国の商慣習をしっていることは、ビジネスを進める上でとても大切」と言い、現在も、日本人スタッフだけで運営している

また、田村氏が、ジャストシステムの本社が四国にあることについて触れると、浮川氏は「もし、東京で起業していたら、仕事が潤沢にあるために、リスクを負ってまで、オリジナリティを追求する意欲はわかなっただろう」と述べ、ハンデととらえられがちな地方在住が、考え方次第ではメリットになりうることを主張した。

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形としては“Uターン独立”を果たした浮川氏は、「専業主婦の母親に育てられたのが、アンチテーゼになったのか、子どものの頃から、結婚しても働くものと思い続けていた」と、起業家精神のルーツを自己分析

起業する際の業種の絞り方について、浮川氏は「産業のパラダイムが来ることを察知して20年前にソフトの開発に夢をかけたが、今はインターネットの普及による変革期を迎えている。私はソフトウェア産業を残していきたいと思うし、ソフトやIT関連のビジネスは、アイデアと論理的思考がある人に向いているので、女性にもチャンスがあると思う」と答えた。野田氏は、「私の場合、業種に強いこだわりがなかったために、消去法で決めた。日本が他国に比べて遅れている分野での可能性を探ってみては?」とニッチ戦略を提案。さらに、「物事が進むときは、不思議なもので、大切な人との出会いなどが一気に訪れる。その時はためらわずに一気にすすめてチャンスを逃さないように」と、決断力の大切さについても触れた。

特にITベンチャーの間では、株式上場の気運が高まっているが、「IPOをして終わり! ではなく、興味を維持できる、楽しめる仕事で起業して欲しい」(浮川氏)、「自己実現の方法は、人それぞれなので、組織の中にいる方がいい人もいる。でも、それがストレスになるくらいなら、転職や独立も選択肢に入れて、ポジティブに取り組んで欲しい」(野田氏)と、好きなものに向う前向きな起業を提言してディスカッションを終えた。

たくさんの若き好奇心を。ひとつの事業に集中させて起業せよ

2日目に開催された“若手・学生向け起業家塾”には、(株)エイチ・アイ・エスの澤田秀雄社長と、(株)パソナの南部靖之氏が登場。

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「てんぷら屋?」、「ちゃらんぽらん?」と、社名すら認知されていなかったテンポラリーセンター時代のエピソードで、場内の笑いを誘った南部氏。小学生時代、テストで他人に勝ったことを自慢して父親に怒られたときから「自分なりに考えて解決していけば、他人が成功しても嫉妬しないし、自分が成功しても天狗にならずに済む」と、心に刻み込んできた

南部氏が、「職業安定法を詳しく知らなかったからこそ、危ない橋を渡ることができたのかも」と人材派遣業を社会的に地位のある産業にひきあげるまでの大胆なチャレンジについて振りかえれば、澤田氏は「規制緩和なんて言葉もなかった時代に、大手旅行会社の横並び主義に対抗したのだから、仕入れを止められたり、やんわりとプレッシャーをかけられたこともある」と、反体制を貫きつつ、ブレイクスルーを創り出す苦労について語った。

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「辞めたいと思ったことは、何度でもある」と澤田氏。しかし、「やると言ってマスコミに書かれると、もう中止はできないし、スタッフも私以上に辞めたいだろうと思うと、引き下がるわけにはいかなかった」と言うあたりが、根っからの起業家であることの証であろう

若い頃は、「自分でも、よく働いたと思う」、「事業をやると自由がなくなる」という両氏だが、仕事が好きでたまらないという思いも共通のようだ。「夢と目標がなければ走れない。ゴールがあるから走れるのだし、みんなが拍手してくれるからこそ頑張れる」(澤田氏)と、起業には志が不可欠であることを強調。その上で、沢田氏は「やりたいことが、たくさんあるかもしれないが、ひとつのことに絞り込み、力を集中させるのが成功の秘訣。自戒もこめて(笑)」とアドバイスの言葉をおくっていた。

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