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教育におけるコンピューターの意味を考える――NECA(ねっか)カンファレンス開催!(前編)

2000年09月01日 13時02分更新

文● 船木万里

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8月31日、山王パークタワーのNTTDoCoMoセミナールームにおいて、NECA(ねっか・Nippon Educational Computing Association)の主催する“NECAカンファレンス”が行なわれた。

NECC(National Educational Computing Conference)は、“テクノロジーを利用した教育”をテーマとする全米最大規模の情報教育カンファレンスで、15の教育団体が共同で開催するもの。今年は1万3000人以上の教育者、教育関連団体関係者などが全米から参加した。日本では昨年からNECAが交流、参加窓口として教員のサポートしている。今年は2人の教員がNECCに参加して事例発表を行なった。

NECC会場のビデオ。ライリー教育庁長官の挨拶の場面。プロジェクターではテロップが流れ、壇上には手話通訳者が立つなど、障害者にも配慮している
NECC会場の企業ブース。会場は昨年の3倍と、非常に大きなイベントに成長した

今回はその参加報告のほか、文部省大臣官房政策課長の寺脇研氏、はこだて未来大学教授の美馬のゆり氏により、総合的教育のあり方や情報教育の意義などについての講演が行なわれた。また、ジョージルーカス教育財団による教育映画が紹介された。

総合的学習とは“生きた知識”の学習

まず講演に先立ち、(株)NTTドコモ常務取締役の法人営業本部長、加藤豊太郎氏が挨拶を述べた。次に文部省大臣官房政策課長の寺脇研氏が壇上に立ち、“総合的学習に求められるもの”という題目で講演を行なった。

文部省大臣官房政策課長の寺脇研氏。「学んだことを生きた知識として身に付けるためにこそ、総合的学習の時間を利用してほしい」

最初に寺脇氏は総合的学習の時間について「時間割が、昔に戻ったと考えてもらえればいい」と発言。つまり、大正や戦前の小学校などでは、時間割といってもきっちりしたものではなく、秋には裏山に入ってみたり、雪が降れば雪合戦をしたりという“ゆとりの時間”があった。しかし近年、学校も官僚的社会になり、このような融通性がなくなっていた。総合的学習の時間は、そういう失われたフレキシビリティを取り戻すための策であり、広い視野で体験学習をするための機会としてに設けた時間であるという。

これまで「知識を蓄えることはよいことだ」という理念に基づいて、1歳や2歳からの早期教育にまでどんどんエスカレートを続けて来た。しかし、何のために知識が必要なのかが分からなくなり、また勉強による子供たちのストレスなどの弊害も出てきている。今の教育の「知識の量さえ多ければいい」という考え方を、まず改めなくてはならない。勉強したことがどのように生活に生かされるのか、どうやって応用すればいいのかを、少し立ち止まって考える機会を子供たちに与えるためにも、ゆとりが必要だと寺脇氏は言う。

例えば時速を計算する問題を算数の時間にやったとしても、目の前を走るクルマの速さを計算するためにその公式を利用するということを、子供たちはすぐには考えつかない。それが分かったとき、算数の公式は初めて生きた勉強になる。また、歴史の年号だけを覚えるより、どういう事件があってそれがどういう結果を生んだか、という大きな流れをつかむことのほうが重要だが、受験勉強ではどうしても年号の暗記に偏ってしまう。美術館や博物館で展示品を見ることで歴史の重みを実感するなど、学んだことを生きた知識として身に付けるためにこそ、総合的学習の時間を利用してほしい、と寺脇氏は語った。

最近の中学生は勉強を強要され、人と同じでなければ、あるいは人より早くしなければ、と生活態度を縛られることで、大きなストレスを抱えている。このストレスを緩和するため、文部省ではこれまでより学習内容を減らして3割ほどゆとりを設け、広がりをもつ学習を主眼に置きたいとしている。情報教育も、最新の機器を使いこなすための教育ではなく、そうした技術を補助的に利用して、どういうことができるかを考えていく。

コンピューターを教育に利用するというと、生徒がみなオタク化してしまうのでは、などという心配をする人もいるが、コンピューターはまずコミュニケーションの道具であるということを理解していないのではないか。今は、何が目的で、何が手段であるかを見極めるべき時期にきている。総合的学習の時間では、教師、生徒、保護者、地域社会が皆でどういう目的を達成するかを、よく考えて授業を構築していくべきである。

今後は“皆が同じでなければ”という考えを捨て、いろんな子どものいろいろな考え方を許容していきたい。文部省としては内容についての指示を出さず、現場に任せていけるシチュエーションをつくっていきたいと考えているが、先生は生徒や保護者からも意見を聞きながら、授業に関しての情報公開と内容の十分な説明ができるようにしていただきたい、と寺脇氏は述べた。また、NPO団体なども総合的学習に参加したいと言ってくれているので、そうした地域団体などとも連携をとりながら、新しい授業をつくっていってほしい、と結んだ。

情報教育の意義と“調べ学習”の重要性

次にはこだて未来大学教授の美馬のゆり氏が“情報教育の意義と役割-学習観の変遷をもとに-”と題した講演を行なった。

はこだて未来大学教授の美馬のゆり氏。「教育におけるコンピューターとは、さまざまな価値観や視点と遭遇する機会を学習活動の場に与えるための道具」

教育におけるコンピューターとは、先生の代役を果たすのではなく、単にコンピューターの使い方を教えるのでもなく、校務の情報化でもない。これまでの学習観では、学習とは“知識”の獲得であり、子どもとは同じ知識で満たされるべき容器であった。教育を効率化するべく、科学的管理法が導入され、人工知能の利用が考えられてきた。しかし、これからの学習とは共同体への参加であり、知識とはそこでの実践、コミュニケーション活動である。頭の中に入れるのではなく、さまざまな場所のリソースを利用することが学習となる。子どもは仲間と協同する独立した個人であって、教師は知識の源泉としてではなく、知的資源へのアクセスをガイドする立場で子どもと接しなければならない。

コンピューターの利点とは、試行錯誤しながらものをかくことができ、その過程を記録できること。そして、時間的、空間的に離れた人に思考を伝達するための道具でもある。コンピューターを用いた学習活動では、問題意識を持って情報を探し、自分なりの考えを深め、意見をまとめて発表することができる。また、教師と生徒が向き合うという従来の教室の空間配置も変化するため、視線・行動が多様化し、開放的な活動スタイルとなる。

しかしコンピューター利用の落とし穴として考えられるのは、“調べ学習”の目的が忘れられる危険性があること。情報を検索し、集めた資料を元に、きれいな画面にまとめて発表することで、子供たちも教師も満足し、自信をつけている。しかし本来、“調べ学習”とは情報を収集した後、分析し、背後にある問題を探って仮説や結論を導き出すことではなかったのか。それが、新しい技術によって美しく資料をまとめることにすり変わってしまい、結局どういう結論を導き出せたのか、分からなくなってしまっている、と美馬氏は指摘する。

教育におけるコンピューターとは、新しい技術による教育の効率化ではなく、これまで先生と生徒との間で閉じられていたコミュニケーションを外の世界へと導き、さまざまな価値観や視点と遭遇する機会を学習活動の場に与えるための道具である。学校により情報環境の実態はさまざまではあるが、新しい学習観に基づいて教育の在り方を変えていこうという気持ちさえあれば、学びのコミュニティーはさまざまな形で実現できる、と美馬氏は語り、それには教員の努力だけではなく、企業や地域社会、PTAなどの参加と協力が必要であるとした。すなわち、今後の教育には、IT(Information Technology)だけではなく、Information Communication Technologyを取り入れていくべき、とコミュニケーションの重要性を強調した。

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