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【連載コラム マイペースのパソコン散歩道】第15回 本とコンピューター

2000年09月01日 17時26分更新

文● Text by 山木大志

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--我流コンピューティングのススメ

“本とコンピュータ”というテーマは、コンピューターを他のメディアと比べる論議の中では、最も古典的なものだろう。それだけに幅は広く、奥行きも深い。私などが何かを言うのもいささかはばかられるテーマだが、ここでは、“読書”について普段考えていることを披露したい。

コンピューターでの“読書”は“本を読んだ”ことになるのかな?

「最近の若者は本を読まなくなった」という言葉は、遙か昔、私がまだ若者(!)だったときから何度も聞かされてきた。最近も随所で聞かれる。そのとおり単調減少を続けているとすると、今頃は誰も本を読んでいないはずだが……(^o^;)。本当に若者は本を読まなくなっているのだろうか?

私が無知なだけかもしれないが、肝心の読書量に関する統計は、残念ながらしっかりと裏付けの取れたものを見たことがない。最近の変化を示すには、同じ年齢層を経年での推移から示すことが必要なのだが、その点が欠けている。単純な年齢別読書傾向を示すものはあるが、それらを見ると確かに若者の読書量が少ないように思える。

しかし、この種の調査では不明なことが多すぎる。一番大切な“本”について何らの定義がないか、あっても至極曖昧である。漫画、情報誌などは「言わずもがな」で排除していると思われる例もある。初めから「若者は本を読まない」という前提のもとに、その結果を誘導するように作られているのではないかという気がすることさえある。

それはともかく、この種のアンケートでは、おそらくコンピューター上の文字列はむろん(!)“本”に含めていないだろう。この“本”は何冊と数えることが難しい。しかし、若者に限らず、現代人はモニター上で非常に多くの文字を読んでいる。その多くは“情報”と呼ばれるものだが、小説や論文などを“読む”のに利用している人も少なくない。これなどは「若者が読まなくなった」、「本」に含まれるのだろうか?

モニターでの読書はつらい

かつてはコンピューターのモニターは入力確認の道具に過ぎず、それによって文字列を“読む”ことはほとんど行なわれてこなかった。私自身も、かつてはごく短いデータの類を除き、ほとんどの文字をプリントして読んでいた。しかし、現在では、コンピューター上で扱う文字の大部分をモニターだけで読んでいる。この理由は、プリントするのももどかしいほど、閲覧すべき情報が多いこともあるが、ウィンドウシステム、多様なフォントなどで視認性が向上したことが大きい。

とはいえ、長い文章や複雑な説明書などをモニターで見るのはやはりつらい。液晶によってモニターはかなりコンパクトになったとはいえ、品質、携帯性はまだまだ読書向きになっていない。こうした課題への解決策としては、革新的に高精度な表示装置が必要である。

今、多くの企業が閲覧に適した表示装置の開発に向かっているが、実用になるのはまだ数年先になるとみられている。こうした表示装置が誰にでも入手できる段階になって、コンピューター上の読書は大きな可能性が開かれることになる。ただし、それは直ちにモニターでの読書が一般化することを意味しない。

モニター閲覧のための環境整備が進む

モニターでの読書に可能性を感じるのは、文字サイズを自由に変えられることである。年とともに視力は減退する。また、弱年齢層は小さな文字列を長時間読み続けられない。書籍にはそれを意識して大きな文字で作られたものもあるが、全体としては多いとはいえない。それに比べてコンピューター側では、いわば“読書弱者”にとっても負担なく読める環境が着実に整備されつつある。

文字の拡大縮小が簡単にできる環境として、すぐに思い浮かぶのはWebブラウザーである。それをさらに発展させて、文字の拡大縮小に合わせて、ページレイアウトの変更も行なえる環境もある。たとえば、T-Time(ボイジャー)である。文字サイズに合わせてレイアウト変更は、モニター上での読書には非常に便利な機能だ。最近開発が進められているXMLビューアでも同じような機能を持たせたものがある。

一般のテキストビューア、汎用ドキュメントビューアでも拡大縮小表示は可能だが、レイアウト変更を自動化しているものは少ない。モニター上での読書を普及させるには、モニター自体の向上に合わせて、ソフトウェア的な環境整備も必要だ。T-Timeに関しては、以下のURLを参照されたい。http://www.voyager.co.jp/

画面1はT-Timeで開いた“短く語る『本の未来』”(富田倫生著、T-Time 2.0に同梱)
デフォルトの文字サイズは16ポイントだが(画面1)、20ポイントに変更すると、自動的にウィンドウサイズに合わせてレイアウトの変更が行なわれる(画面2)。ウィンドウサイズの変更も可能だ。画面はMacintosh版だが、Windows版もある

電子書籍にお金を払う気になれるか?

モニター上での読書に否定的な要素としては、「電子書籍に対価を払う気になれるか?」という意識の問題だ。「人は本の中身を買っているのではなく、製本されたモノを買っているだ」という主張を最近よく見かける。私も同感だ。ただ、現在は、コンテンツへの対価だけでなく、ダウンロード費用、プリント/製本のための労力などを伴うので、この意見に賛同できるだけかもしれない。コンパクトな端末で、一般書籍のように自由な閲覧できるようになれば、考え方も変わるかもしれない。

とはいえ、コンピューター上の“本”に対しては、価格設定、決済手段のいずれもまだ定番がない。こうした周辺環境や常識が養われて、ようやく個別のコンテンツに対して、高い、安いという意識が持てるようになり、オンライン上での購入も一般の人の選択肢となるだろう。今は何もかにもが試行錯誤のときだ。

“本とコンピュータ”との関わりについては、『季刊・本とコンピュータ』という雑誌と、オンライン版『本とコンピュータ』というWebサイトで詳細な議論が行なわれている。ことにオンライン版『本とコンピュータ』の“百日議論”が面白い。ジャーナリストの方の発言は膨大な知識、素養に基づき奥深いが、私自身は一般読者の投稿に共感を感ずるものが多い。関心のある方は以下のURLをご参照いただきたい。http://www.honco.net/index-j.html

「マイペースのパソコン散歩道」は今回で終了します。短い間ですがお付き合いいただき、ありがとうございました。残念な気がする反面、「やっと終わった」という気持ちもあります。近々新装開店する予定ですが、次回作は少し実用的なものを考えております。そのときには、再びお付き合いいただければ幸いです。m(_ _)m

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