7月3日、大阪駅前第3ビル17階・桐杏学園会議室において、“ビジネスモデル特許”をテーマに、エンゼル証券“情報セミナー”が開催された。当日のセミナーには、大阪府立特許情報センター・企画総括主査の久保浩三氏が講師として招かれ、日本の特許の方向性や、大阪府立特許情報センターにおいて新しくオープンする“パテントラボ”などを紹介した。
エンゼル証券は、アーリーステージのベンチャー企業の資金の調達を目的として'97年に設立された会社。代表取締役の細川信義氏は、'78年に“公認会計士細川信義事務所”を開設したあと、(株)大和銀行総合研究所顧問、監査法人アイ・ピー・オー代表社員を経て現職についた、関西ベンチャーのキーパーソンの1人である。
“情報サロン”とは、起業家を取り巻く人たちの止まり木になる場として同社が主催している交流会形式のセミナーで、起業家のほか、資金とノウハウの提供が可能なエンゼルやメンター、プロ支援者など、数十名が参加している。
司会はエンゼル証券の藤林寿行氏 |
日本の特許はプロパテント化の方向へ
最近、ビジネスモデル特許をめぐる話題が、IT業界を中心に盛んになっている。そもそも特許とは何のためにあり、何を守っているものなのか?講師の久保氏は、「競争を原則とする資本主義の日本においては、よりよいものをつくるための競争を阻害するものは排除される」と独占禁止法の意味を説明した上で、その穴抜きをする形で特許法を代表とする知的財産権法*がつくられていると述べた。
*知的財産権法とは、特許権・実用新案権・意匠権・商標権という工業所有権と、著作権・回路配置利用権・品種登録・不正競争防止・商号・肖像権・キャラクター・パブリシティーというその他の知的財産権を指す
つまり、他人のものが自由に真似ができるとなると、そのアイデアを生み出すまでの、人的・経済的苦労が無に期してしまい、誰も新しいものを考えることがなくなってしまう――その流れを防ぐために特許法などがあるということになる。
工業所有権の歴史を振り返ってみると、近代特許制度は、イギリスで発展したといわれている。アメリカでは、1787年の連邦憲法の制定において、「議会は……科学及び有用な技術の進歩を図るため……発明者に対し……一定の期間、独占を与える権限を有する」との規定が設けられ、この憲法の規定に基づき、1790年に連邦特許法が制定された。日本では、明治維新後、近代化が急務との観点から、特許制度整備の必要性が認識され、1885年に“専売特許条例”を公布。1905年には特許制度を補完するため、実用新案法が制定された。
大阪府立特許情報センター・企画総括主査の久保浩三氏 |
独占禁止法と知的財産権法は、そのときの社会情勢に最も適した形で、強弱のバランスをとりながら存在してきた。
たとえば、アメリカでもエジソンやベルが活躍した1900年頃には非常に特許が強かった(これをプロパテントという)が、世界恐慌以降に反トラスト法(独禁法)が重視されるようになり、特許が弱い(これをアンチパテントという)時代へと以降していった。レーガン政権の時代には、再びプロパテント政策がとられ、強い米国の復活を助けたという経緯がある。
アンチパテント時代には、日本では欧米の技術を採り入れて製品化するために、小さな特許がたくさん出ることになった。ところが、バブルがはじけたことで、意見は一変し、'95年以降はプロパテントの流れになっている。
それにあわせて、'98年1月には民事訴訟法が、続いて'99年1月、2000年の1月と特許法が見直されている。たとえば、損害賠償金についても、日本ではアメリカに比べて額が安いため、特許を無視してでも儲けたほうが勝ちという計算になりがちだったが、今では「新開発を行なう動機づけになる程度まで賠償額が上がっており、中小企業でも特許の警告書がやりとりされる事例が急増している」(久保氏)
過去の特許情報などをインターネットで無料公開する“特許電子図書館(IPDL)”
具体的に特許をとるため手順について、久保氏は、「まず、同じ内容の特許がないかどうかを調べること、次に特許の権利化を行なうこと」の2段階であると説いた。特許庁が'99年の3月31日から始めた特許電子図書館(IPDL)は、過去の特許情報などをインターネットで公開するというシステムで、誰でも無料で閲覧することができる。明治から1992年までのデータは画像で、それ以降はテキストデータで保存されているので、ここ数年のものならばキーワード検索もできる。
ただし「たとえば、指紋照合についての特許を調べるために、指紋*(照合+照会)という条件で検索したとしても、指紋に限らず、体中のどの部分を接触させても照合できるシステムが、“皮膚照合”などのキーワードで申請されていたら、発見できないケースもある」(久保氏)ので、紙媒体の広報書類でIPC(国際特許分類)などを参考にダブル・チェックをかけていく配慮は必要だろう。
さらに、自分の考えをフローチャートに書き落とし、どういう手順で、どういう順番にビジネスを行なうのかをブロック図で示す。このとき、コンピューター(特にインターネット)をどのように活用しているか(プログラムを実際に作る必要はない)、さらに“他人と違う新しいアイデア”が盛り込まれているか、という2点がクリアーできていれば、ビジネスモデル特許として有望だ。
久保氏は、特許庁とアメリカのUSPTO*の現行の審査運用手引きを示した上で、「日米で、どの部分をもって発明が否かを見極めるかというポイントが違うだけで、アメリカでは特許がとれても日本では無理だといわれているのは、噂にすぎない」と俗説を否定。米国では現実的用途があるかどうかが重要視されているのに対し、日本ではコンピューターと結び付けられているかが決め手になっていると述べた。
*USPTO:米国特許商標事務局(U.S. Patent and Trademark Office)
事例をみてみると、内容が全く同じでも、書き方ひとつで特許化できる場合とできない場合とがある。「本当にそれをビジネス化して収益に結びつけていこうと思うのならば、弁理士などに依頼した方がいい」と久保氏は述べ、特許はビジネスの手段であって、目的ではないはずだと指摘。ITはスピードが速い分野だけに、まずはコア部分を出願しておけば、あとはビジネスに集中すべきで、特許にとらわれすぎるのは本末転倒であると強調した。
講師の久保氏。特許にとらわれすぎるのは本末転倒であると強調 |
新産業の創出を目指す――“パテントラボ”
大阪府立特許情報センターでは、新しい発想からなるインキュベーター“パテントラボ”を7月13日にオープンさせる予定だ。先端技術の宝庫である特許情報とその特許情報の活用支援システムが集積している府立特許情報センター内に開設し、特許になるような新しい技術アイデアを持つ企業や個人が、アイデアを具体化するための課題を解決するまで、サポートスタッフの支援を受けながら技術開発を行なう施設である。すでに一時募集が終わったが、いまからでは年内は待ち状態になりそうなほどの大反響だという。久保氏が語るように「ベンチャー企業や中小・中堅企業の研究開発を通じた新産業の創出にもつながるかもしれない」という可能性に期待したい。