10月15日から11月28日まで、東京新宿のNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)において、“ICCビエンナーレ'99”が開催されている。“ICCビエンナーレ'99”は、メディアアートの新しい表現の可能性を追求し、優れた新人を発掘する企画展。最新テクノロジーを駆使したメディアアート作品が世界各地から集まっている。
本稿では、先日のグランプリ発表会において、お伝えできなかった作品を中心に報告する。
4階のICCギャラリーDでは、準グランプリを取ったマーティン・リッチズ氏の『インタラクティブ・フィールド』のほか、2点の作品を展示している。
『バ島』
ジャン=マリ・ダレ氏の『バ島』は、実際に存在する島がテーマ。向かい合わさった2組のコックピットのようなブースの中央にバ島のミニュチア模型が飾られている。模型が入っている水槽のフレームには、XY軸に動くスライダーがあり、そこにカメラが搭載してある。観客は向かい合わせのブームに入り、操作板でバ島の地図を指し示す。するとCCDカメラが、その位置に移動し、そこから送られてきたバ島の映像が映し出される。映像は拡大され、バ島の隅々まで冒険できるという仕組み。水槽のフレームにはいっている模型 |
目の前に“在る”バ島のモデルを、自分の目で見るのではなく、異なる別の視点からカメラで見ることでリアルさを喚起させ、新しい発見を観客に提示する。
コックピットのようなブースでカメラを操作する。前面にその画像が現われる |
『森』
ケン・ゴールドバーグ氏らが制作した『森』は、サンフランシスコのヘイワード断層の波動をインターネットでリアルタイムに伝える、光と音の没入型インスタレーション。螺旋状の通路に沿って恐る恐る暗闇の中を歩いていくと、実際に今まさに海を隔てた西海岸で活動している大地の鼓動が聞こえてくる。部屋の中央には、火山の噴火口のような穴が覗いている。その穴の下にはディスプレーが設置されている。視覚、聴覚による体感はレゾナンス(共鳴)となって観客に伝わり、観客と地球との関係性を再構築する。タイトルには、ラテン語で、日本語の単語“モリ:森林/聖域”という言葉をラテン語の句である“メメント・モリ”と結びつけ、“死を忘れるな”という意味が込められている。自然に対する畏敬の念が表われた作品。
『森』のシステムをコントロールするパソコン |
5階に上がると、ギャラリーAのフロアーがある。このギャラリーには、グランプリ作品の『タイムテーブル』と準グランプリ作品の『ウイラプル』のほか、4点の入賞作品を展示している。
○[en]
一見すると、近森基氏の○[en]はプラネタリムのように見える。ドーム状のブースに近づいていくと、その内部にあるラックに小さなお椀型の半球が陳列してある。赤、青、黄色、橙色、紫、緑などの半球を2つほど手に取り、重ね合わせて球にしてポールの上に置いてみると……。カラフルな半円のインターフェース。手前は、半円を2つ重ねてポールに乗せているところ |
天空ドームに、それぞれの半球と同じ色のイメージがゆっくり流れていく。生成されたイメージはポールに置かれた半球の組み合わせによって干渉し合う。また、ドームの前に設置されたモニターに映し出された半円を操作すると、その図形がドームに現われる。
インターネット経由で参加することもできる。観客やネット上で作られたイメージが、ドーム上で相互作用を及ぼして、イメージの新しい関係性を作り出すインタラクションである。
『フレームズ』
このブースに入ると、プロジェクターから写し出された大きな映像が現われる。映像は少し古ぼけたもので、前面にある大きな金のフレームに手を触れると、映し出された映像に変化が起こる。たとえば、イスに座っていた若い男が、苦悩の表情を浮かべ何かを訴えるような仕草をして席を立つというような、日常生活がスクリーンに現われる。グラハム・ワインブレン氏の『フレームス』は、150年前の精神医学に疑問を投げかける。当時の英国では、精神障害者の写真を撮影し、その様相から患者の病状を把握するという方法が取られていた。プロジェクターに映し出されていたのは役者だが、観客が当時の医者やカメラマンとなり、フレームに触れることで、役者が患者に変身する。このフレームを通して見る映像は、他人を一定の枠組み(フレーム)に押し込んで見ている観客自身の姿をも表出させる。
手前にある枠組み(フレーム)に触れると、映像が変化する |
『ランディング・トーク』
暗闇のステージの上にドアがある。観客がドアの前を横切ると、光センサーが観客の存在を認識し、ドアの向こう側にある前面スクリーンにイメージが投影されてストーリーが展開する。異なるストーリーが6つあり、観客はその物語に孤独感や圧迫感など、いろいろな感情を持つだろう。スタジオアッズーロの制作による『ランディング・トーク』は、映像の中のストーリーを通して、見る者の感性を鋭く抉り、想像力を喚起させる作品である。
ドアの前に立つ。ドアは半透明で、そこに映像が映るようになっている |
スクリーンの映像に変化が現われ、いろいろな人物が登場する |
『漸近線』
会場中央にある半透明シリンダー上のワイヤーを操ると、巨大なスクリーンに映し出された木製の人形が動き出す。ワイヤーには張力があり、観客がワイヤーを引くと、インターフェースの内蔵モーターの力によって、逆に強い力でワイヤーが引き返される。画面上のマリオネットもワイヤーを引く。半透明シリンダーがインターフェース。ワイヤーを引っ張ると強い反力が |
『マリオネット・シアター』(ハインリッヒ・フォン・クライスト著)に影響を受けたこの作品は、マリオネットと人形使いの逆説的な関係をモチーフにしている。人形を操ることで、同時に自分も操られてしまうという主客逆転のパラドックスは、まさに“人間とコンピューターの関係”に似ているかもしれない。
自転車に乗るマリオネット |
ダグラス・エドリック・スタンレー氏の『漸近線』は、そのタイトルのように無限に近づいても決して接することのない関係性を観客に気づかせる。
『クロッシング・トーク』
ギャラリーBでは、CAVEシステムを体験できる。これは、CAVEシステムという立体画像を用いたバーチャル環境でのコミュニケーションを主題にした『クロッシング・トーク』という作品。映像と音というコミュニケーションの渦の中に巻きこまれて観客はCAVEの中を漂流していく。ギャラリーに入ると、3Dゴーグルが中央からぶら下がっている。これを運転者となる観客が装着すると、3面スクリーンに現われた映像が立体的に見える。この映像は観客の立ち位置によって、バランスが崩れるようになっている。このシステムには、関連性のない3つの映像が蓄積されており、その映像が混沌(こんとん)と流れている。
CAVEのなかで。観客は3Dのゴーグルを着ける |
混沌とした映像のイメージ |
そして、さらにもう1つの映像が別の場所から送られてミックスされる。ギャラリーAのフロアーの入口に設けられた小さなブースにパソコンが設置してあり、このパソコンはCAVEシステムとつながれている。ここで観客が自分の映像と声をリアルタイムで送り、チャットすることができる。
別の場所に設けられたブースから。ここから映像と音を送り、チャットする |
CAVEシステムのなかでは、リアルタイムに流れる情報の洪水を浴び、さらに、観客の立ち位置によって崩れる映像バランスを保つために、チャットによるコミュニケーションをとる必要がある。映像のカオスに身を置いていると、あらためてコミュニケーションとは何か? という素朴な疑問が浮かび上がってくるようだ。