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デジタルハリウッド、開校5周年記念イベント“DH1999@life”を開催

1999年10月13日 00時00分更新

文● 編集部 鹿毛正之

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マルチメディアクリエーターの養成スクールであるデジタルハリウッドは、設立5周年を記念するイベント“デジタルで変わる人生 DH1999@life”を開催した。同イベントは、東京・横浜・大阪・福岡の各校において10月全般に渡って開催されるもの。東京校では8日と9日の2日間にわたって開催された。

8日には、東京・御茶ノ水の同校校舎において、作品発表会やグランプリ授賞式、同窓会などのイベントが開催された。また9日は、東京・神田の全電通労働会館に場所を移し、前半と後半の2部に渡ってイベントが開催された。

杉山校長のオリジナルプリクラが登場! 柔和な笑顔がなんともキュート
杉山校長のオリジナルプリクラが登場! 柔和な笑顔がなんともキュート



前半は“@lifeサクセスストーリー”と題し、マルチメディアの制作現場で活躍するデジタルハリウッドの卒業生に焦点を当てたトークショーが催された。後半は、著名なマルチメディアクリエーターをゲストに迎えたトークライブの“@lifeトーク”が開催された。本稿では、@lifeトークの模様をお伝えする。

トークライブの会場には満員の聴衆が詰め掛けた
トークライブの会場には満員の聴衆が詰め掛けた



電子ペット誕生の舞台裏を探る“@lifeトーク”

“電子ペットプロデューサーの@life”と題されたトークライブでは、『ポストペット』の開発者として知られる八谷和彦氏と、ドリームキャスト用ゲームソフト『シーマン』の開発者である斎藤由多加氏の2人をゲストに迎え、デジタルハリウッド校長の杉山知之氏がホスト役を務めた。

デジタルハリウッドの杉山知之学校長がホスト役を務めた
デジタルハリウッドの杉山知之学校長がホスト役を務めた



キャラクターはポスペが持つ毒を消してくれる存在

最初に登場した八谷氏は、メディアアートの分野で活躍するアーチスト/クリエーター。冒頭では、20世紀末の現在には、ビデオやコンピューターを利用したアートのジャンルがあると説明した。八谷氏はポストペットのほかにも精力的にアート作品を発表しているが、「普通に売るものがほしい」との思いから、ポストペットを制作するに至ったという。ちなみに現在は、ジェットエンジンを搭載したスケートボードの“エアボード”の開発に熱中しているという。

八谷氏は、(有)PetWORKsの代表も務めている
八谷氏は、(有)PetWORKsの代表も務めている



すでに30万本以上が売れているというポストペットについては、当初、デジタルハリウッドの関連会社内で開発を行なっていたという秘話を紹介。週に3日は同校がある御茶ノ水に通い、学生たちに交じって制作していたという。

ポストペットとソネットがセットで語られることが多い点について、構想は元々八谷氏が持っていたものであり、ソネットからの依頼で作ったわけではないという点を強調。最初のうちは「シェアウェアくらいでやれればいいや」という気持ちで作っており、ソネットに対しては「お金(開発費)ください」といった気持ちで話を持っていったという。

電子ペットという側面については、ポストペットが持っている“毒の部分”をキャラクターが中和していると説明。勝手にメールを出すという、本来メールソフトとして許されないフィーチャーも、キャラクターがあると許されるとのことだ。

トークライブの間、笑みを絶やさずにマル秘エピソードを披露する八谷氏。好感度満点だ
トークライブの間、笑みを絶やさずにマル秘エピソードを披露する八谷氏。好感度満点だ



トークライブの中では、ポストペットの英語版、中国語版、ドイツ語版のβ版が完成したというエピソードも披露された。八谷氏自身、使っているソフトのほとんどが米国製なのは悔しいと語り、ぜひ輸出したいという気概を見せた。また、杉山氏の「ポスペはやり取りが重要なソフトだから、ローカライズするときは言葉のあやが大変じゃない?」という質問に対しては、「いい翻訳会社を探すのには時間が掛かった」という苦労話も披露した。

Towerがヒットしたら、銀行がジャンボ機をリースしないかと投資話をもってきた

続いて登場した斎藤氏は、パソコンとコンシューマーの両方で大ヒットしたゲームソフト『Tower』の開発秘話からトークを始めた。斎藤氏は元々、大企業のシステム部門で、IBM5550といったオフコンを使用していたという。その当時、初代Macintoshがビープ音ではなく音声合成で話をすることに大いに触発され、「すごいアタマのいい人が作ったんだなあ」と憧れの目で見ていたと語った。

大きな身振りと軽妙なトークで聴衆を魅了した斎藤由多加氏、現在は(株)ビバリウムの代表を務める
大きな身振りと軽妙なトークで聴衆を魅了した斎藤由多加氏、現在は(株)ビバリウムの代表を務める



また、「アップル本体よりも、アップルを取り巻いているソフトを作っている人たちがすごいなあと思った」というのが、当時の印象だったという。そのうち、大企業のシステム部門で『SimCity』が流行るようになり、20代中盤だった斎藤氏も「死ぬほどハマった」そうで、「インテリジェントを感じた」とのことだ。

その後、勤務先の会社で制作したMacintosh用のゲームソフトがヒットしたのを機に脱サラし、Towerの制作に取り組んだという経緯について語った。当初は「3000本くらい売れたら」と考えていたが、ロイヤリティー契約では赤字になるとわかったので、自分たちで箱詰めして売ることになったのだという。その際、自身の経験から熱心にユーザーサポートを行なったことが、会社の評判を高めることにつながったという。

その後オープンブックは米マクシス社と契約し、Towerの英語版である『SimTower』を発売するなど躍進。社員も増え、一気に60人にまで増員した。当時は「ウハウハに儲かった」とのことで、銀行が“ジャンボ機のリース”など、多くの投資案件を紹介しにきたほど。このときの経験から、テレビでの露出が増えると投資話に悩まされるということに気づき、シーマンではあえて表に出ないようにしたとのことだ。

「ポスペの10万本は、コンシューマーの10万本よりもスゴイ」

ここからは、杉山氏が八谷氏と斎藤氏の双方に話を振るという展開に移り、マル秘のエピソードが続出した。

八谷氏は、ポスペのキャラクターについて、「ペットではなくエージェントを作ろうと思った。それもバカエージェントを」と語った。また、「鷹匠をやってみたかった」と語り、鷹と鷹匠が信頼で結ばれていることを例にあげ、その信頼感がポスペのユーザーとキャラクターの間にほしいと思って開発したのだという。

また、杉山氏の「電子ペットが受け入れられている中で、あえてシーマンを出した理由は?」という質問に対しては、斎藤氏は「AQUAZONEを見たとき、“自分ならこうは作らない”と思った。そのとき、シーモンキーより語感が情けないシーマンというタイトルを思い浮かび、いたく気に入った」とのこと。ちなみに、AQUAZONEを開発したのは斎藤氏のオープンブックと合併した(株)9003だったが、シーマンの開発を依頼したところ断られたのだという。

シーマンは当初Macintosh上で開発していたが、3Dのスピードが遅く、製品化には至らなかったという。このとき、(1)パソコンが速くなるまで待つ、(2)コンシューマー向けのゲーム機で出す、(3)もうやめる、という3つの選択肢があり、たまたまセガ・エンタープライゼスの入交社長からオファーを受けたこともあって、ドリームキャストでの開発を決めたとのことだ。

ステージ上の大スクリーンには、実際にポスペやシーマンの画面も映し出され、トークを盛り上げていった
ステージ上の大スクリーンには、実際にポスペやシーマンの画面も映し出され、トークを盛り上げていった



杉山氏が、「'90年代初頭に暖められた人工生命のアイデアが、同時期に一気に出てきた」という指摘に対しては、八谷氏が某社のメールソフトを実名を挙げてパクリだと指摘し、「マニュアルがそっくりなところが悲しい」と本音を漏らしたのが印象的だった。

コンシューマー向けゲーム機に対するアプローチに関しては、八谷氏は「1本は出してみるつもり」と開発を発表。また斎藤氏は、「ポスペの10万本はコンシューマーの10万本よりも価値がある」と語りつつも、「コンシューマーとパソコンの距離は近くなっている」と指摘し、「ドリームキャストにモデムがついているのはスゴイこと」と、コンシューマーゲーム機の発展を歓迎する姿勢を表明した。

トークライブの全体を通しての印象として、これまで系統立てて語られることが少なかったソフト開発のエピソードが明かされたのは貴重なケースであり、聴衆にクリエーターを目指す学生が多かったこのイベントでは、得るものが大きかったようだ。また、開発現場の話題だけではなく、会社の設立や運営にまつわる苦労話が披露されたことも、聴衆にとっては興味をそそられる部分だったろう。

デジタルハリウッドでは今後、横浜など各校において同様のトークライブを開催する予定。今からでも、本来ならオフレコのトークを聞くチャンスがあるかもしれない。

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