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“デジタル・バウハウス――新世紀の教育とビジョン”――

1999年08月18日 00時00分更新

文● 平野晶子

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今世紀初頭、芸術と産業技術の融合を目指してさまざまな実験を試み、その後の欧米の芸術、デザインに大きな影響を与えたバウハウス。現在、このバウハウスをモデルとして、芸術とデジタル技術を融合した新しいメディアアート教育を推進する動きが世界に広がっている(一部敬称略)。

NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で6日から始まった“デジタル・バウハウス--新世紀の教育とビジョン”――は、そんなデジタルバウハウスの潮流を本格的に日本に紹介するものである。9月19日までの期間中、作品展示はもとより、数多くのシンポジウム、ワークショップ等が予定されている。ここでは、初日に行なわれたシンポジウムの模様をお伝えしよう。

パネリストはフランスのル・フレノア国立現代芸術スジオ学長アラン・フレシェール氏、川崎市市民ミュージアム写真部門学芸員の深川雅文氏。司会を多摩美術大教授で美術史家の伊藤俊治氏が務めた。伊藤氏はICCプログラム委員でもあり、この展覧会の監修者でもある。

ル・フレノア----領域を超えた教育と創造の場

バウハウスは'19年、ドイツのワ(ヴァ)イマールに誕生した。いま、その精神はフランス北部の小さな町、トゥルコワン市に受け継がれ、新たなる展開を見せようとしている。

ル・フレノア国立現代芸術スジオ学長アラン・フレシェール氏
ル・フレノア国立現代芸術スジオ学長アラン・フレシェール氏



ル・フレノア国立現代芸術スタジオはフランス文化省主導の下、写真家、映像作家として活躍するアラン・フレシェール氏が'87年から基本カリキュラムなどの構想を練った新しいタイプの教育と創造の場だ。'97年に開校し、第1期生には日本からの留学生もいる。基本的に大学院にあたる教育機関であり、学生はすでに大学や専門学校などでそれぞれの分野の基礎教育を受けていることが前提となる。

フレシェール氏がル・フレノアの特徴として真っ先に挙げるのは、領域横断的な創造を理想としていることだ。自身、写真家であり、映画製作も手がけ、著述活動にもいそしむ多面的な活躍を見せる人物だけに、アーティストたちが絵画なら絵画、写真なら写真、と1つの専門領域にこもって自己を限定してしまうような閉鎖性をよしとしなかったのである。
 
この理念に基づき、学生たちは全員、第1学年で総合芸術としての映画製作を学ぶ。それがあらゆる視覚芸術の基礎であるというのが、ル・フレノアの考え方だ。リュミエール兄弟の国、フランスらしい発想でもある。こうして、まず伝統的なメディアについて学んだ後、2年目からはデジタルメディアについても学ぶことになる。製作にはプロとまったく同じ機材や設備が使用されるが、それは「ツールが貧弱だからこれしかできなかった」という言い訳を学生に許さないためでもある。

巨匠ゴダールも教壇に

また、常勤講師を置かず、各分野の最前線で活躍するアーティストたちが1~2年ずつ交代で教鞭をとるのも大きな特徴だ。たとえば、映画製作においては巨匠ジャン・リュック・ゴダールが現在講師に迎えられているという。彼らには教育だけに専心するのではなく、自身の創作活動もル・フレノアの設備を使って続けてもらう。時には学生を助手として使い、そのことによって学生は学び、アーティストたちも若者たちから刺激を受ける、そんな共同創造の場でもあるのだ。
 
創作実践のみではなく、理論や芸術史などの講義も必修科目として組み入れられている。ここでも領域横断の思想は貫かれており、学際的、フレシェール氏言うところの“ハイブリッドな”研究・講義が行なわれている。芸術分野のみならず、科学者や技術者も招聘(しょうへい)されている。
バウハウスはその名の通り、バウ(das Bau=ドイツ語で“建築”の意)における全芸術の統合を試みたが、このル・フレノアの建物自体にも創設の理念が巧みに表現されている。'70年まで複合娯楽施設として利用されていた古い建物を生かし、そこに新しい施設を継ぎ足す形でデザインされたこの建築は、伝統と先端技術の融合という思想の表現にもなっている。そこには2つの映画館も備わっており、昼間は学生や講師が利用し、夜は一般市民に開放される。創作や教育の場であるだけでなく、そこで生まれた作品を市民に発表する機能も担っているのだ。ここにも異なる領域間の交流が見られる。

「産業界の生み出す技術やツールは、アーティストのはるか先を行っている。それはアーティストの想像力への大きなチャレンジだ。しかし、新しいテクノロジーやメディアというものが、それ自体では人々の注意を引かなくなった時、アーティストの感受性と観客との間に直接的なコミュニケーションが生まれる。今あるインタラクティブ作品というものは、かつてマルセル・デュシャンが夢見た“観客が作品を完成させる”という状況に近付いている」
 
フレシェール氏はこのように述べ、新世紀のメディアアートとは、テクノロジーとアート、そして創作者と鑑賞者、先端的なものと伝統的なものとが交錯する場において成立することを訴えた。それこそが、ル・フレノアの掲げる理想なのである。

バウハウスの今日性

ここで伊藤氏が話をバウハウスに移し、中核的な講師の1人であったモホリー・ナジー(Lazlo Moholy-Nagy1895-1946 ハンガリー出身の画家、写真家)の実験的な映像作品をビデオで紹介。バウハウスの時代は写真や映画が絵画に変わる新しい視覚メディアとして登場してきた時代であり、その意味で新しいデジタルメディアが続々と登場している現在は、当時と非常によく似た状況にあると語った。

川崎市市民ミュージアム写真部門学芸員の深川雅文氏(写真左)と、多摩美術大教授美術史家の伊藤俊治氏(写真右)
川崎市市民ミュージアム写真部門学芸員の深川雅文氏(写真左)と、多摩美術大教授美術史家の伊藤俊治氏(写真右)



これを受けて、後半は深川氏がナジーの映像実験を中心にバウハウスの運動を西洋美術史、思想史と関連づけながら解説し、その今日的な意味を探った。

バウハウスの今日性を象徴するのが、“芸術とテクノロジー、その新たなる統一”というフレーズである。これはバウハウスの創設者であり、建築家のバ(ヴァ)ルター・グロピウスの講演タイトルだった。同時に、現在のデジタルバウハウスのキーワードでもある。

バウハウスが成立した'19年当時は第一次世界大戦が終結し、ドイツには敗戦によりワ(ヴァ)イマール共和国が、ロシアには革命によりソビエトが誕生した大きな時代の節目であった。またシュペングラーの『西欧の没落』がベストセラーになるなど、これまでの直線的な進歩史観に支えられた西欧近代の価値観が大きく揺らいだ時代でもあった。一方、機械技術は着実に進歩を遂げていた。

デジタルバウハウスの潮流が生まれたのは'80年代後半のことだが、ベルリンの壁やソ連が崩壊したのは'89年であり、劇的な時代の転換期であった。バウハウス時代の機械技術をデジタル技術に置き換えれば、非常に似通った状況と言える。“芸術とテクノロジー、その新たなる統一”は、現代にもそのまま有効なのである。

モホリー・ナジーの残したもの

この前提に立って、以降は実際にナジーの写真・映像作品のスライドを見せながら、この思想がどのように表現されているかを解説していった。

ハンガリー出身の画家で写真家、モホリー・ナジー
ハンガリー出身の画家で写真家、モホリー・ナジー



ナジーは'23年からバウハウスの講師陣に加わった。もともとは構成主義の画家であったが、写真との出合いに大きな影響を受け、後に『絵画・写真・映画』という書物を著す。画家になる以前は詩人を目指していた時期もあったといい、視覚情報を言語化、コード化する実験も行なった。その好例が“電話絵画”と呼ばれるものである。色彩や線の長さ、太さといったものをコード化し、その組み合わせを告げれば、誰でも同じ絵画を生み出せる。電話口でコードを読み上げれば、工場から希望の絵が届くという、絵画製作のシステム化を試みたのだ。

この衝動は写真にも向かう。ナジーで有名なものに、フォトグラムとフォトモンタージュがある。“写真は光の造形である”とし、写される対象の物質性を情報性へとシフトしようとしたのが前者だ。写真を抽象的な記号にしてしまおうとしたのである。特筆すべきことに、彼はここでvirtualという言葉を使っているという。非物質的素材としての“光”による仮想的空間における造形、そこから得られる情報が建築、ひいては都市へと発展するというのだ。

深川氏はバ(ヴァ)ーチャルリアリティーとの関連を指摘したが、これは現在のコンピューターグラフィックスにおけるイメージ・ベースト・レンダリングを先取りする思想とも言えよう。話題のサイバーSF映画『マトリックス』のVFXスーパーバイザー、ジョン・ゲイタはイメージ・ベースト・レンダリングを使った独自の技法を開発したが、これにフォトグラメトリ-と名付けているのは偶然ではないだろう。

一方、後者は今日の広告ポスターなどに見られる技法である。ここでも写真に言語を語らせようという意図は明白で、文字を写真に合成するなど、タイポグラフィーの元祖でもあった。

このあたりで終了時間が迫り、深川氏は一気に結論に進まざるを得なくなった。バウハウス時代と現代とは、さまざまな面で似た状況下にあり、最初に提示された“芸術とテクノロジー、その新たなる統一”というキーワードが共通することも事実だが、その意味するところは変わってきているというのが氏の結論だ。

“手”は世界を統合する

伊藤氏はこの後、バウハウスでは手工業、手によるもの作りが重視されたことを紹介。同時に、digitalの語源であるdegitがラテン語で“指”、“手”を意味することとの興味深い符合も指摘した。フレシェール氏もこれに同意し、デジタル時代でも創作における手仕事の感覚が非常に重要な意味を持っていると語った。

「映像は目だけでなく、手、つまり触覚を使って理解していくものでもある。私は16ミリフィルムで1メートルが10秒にあたることを知っている。それは手を使って編集したことがあるからだ。手を使うことで映像と時間を理解できる。ル・フレノアでも1年生は手による編集を学ぶ。ノンリニア編集では時間というものが入ってないため、思考時間も失われる。手作業とは時間を巻き込んだ作業なのだ」(フレシェール氏)――。

深川氏も、グロピウスが論文の中で“手は世界を統合する”と書いていることを紹介して、この説に賛意を表した。

一見、大きな隔たりのある手仕事とデジタルテクノロジー。しかし、語源的にも実際的にも両者はつながっている。ル・フレノアが理想とする新旧メディアの融合という思想にもこれは合致する。今後、日本でも進展していくであろうデジタルバウハウスの成功の鍵も、そこにあるのではないだろうか。

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