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人はペンギンのみにて生きるにあらず!?

2000年07月11日 18時23分更新

文● 宮原 徹

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りなめしとは、Linuxを飯の種にするという意味から転じてLinuxでビジネスをすること、Linuxをビジネスにすることを言います。

 みなさん、こんにちは。宮原です。台風、凄かったですね。幸い、私は電車が止まったりびしょ濡れになったりしないで済んだんですが、連日の雷はところによっては瞬電を起こしたりしたのではないでしょうか。転ばぬ先のUPS、大事ですね。

 さて、前2回(第3回第4回)はちょっと技術的に寄ったお話になってしまいましたので、今回は少しメンタルなお話をさせていただければと思います。去る6月27日に、私がいつも活動をしているProject BLUEの月例セミナーを行ないました。テーマは「Linux的技術者の生き方とは」。ほかの記事でも紹介されている「Do Linux!」プロジェクト、そしてミラクル・リナックスの方にいろいろとお話いただきました。Linuxに関するスキルを自分の仕事に活かしていく、という点では非常にりなめし的な内容だったのですが、それ以上に感じたのは「人は何の為に生きていくのか」という命題です。

 もちろん、誰も霞を食べて生きているわけではないので「食べるため」という答があると思います。それが「りなめし」なわけですけど、それはどちらかというと「人は何の為に生きているのか」という問いに対するかなり即物的な答えなのではないかなと思います。そうではなく、もう少し先にあるゴールは一体何なのか?

 ミラクル・リナックスのCTOである、よしおか氏の話の最後にあった「過程を楽しむ」という話は非常に印象的でした。確かに、楽な方法を使って最短距離で突き進む、というのは目的達成のためには手っ取り早い方法ではありますが、「楽=楽しい」ということでは決してない場合も多いのではないかと思うのです。かといって、道半ばにして横道に逸れて、当初の目的ではないところに辿りつくのがよいのか。それはそれでひとつのあり方だとは思うのですが、できれば当初の目的に楽しみながら辿りつくのがベストなのですかね。

 Linuxを始めとしたオープンソースの考え方は、ソフトウェアで何かを達成するための道程を楽しむことのできる、非常に優れた手法ではないかと思います。そこには知的好奇心を満たす何かがあるような気がしてなりません。多くの人がなぜオープンソースはここまで成功しているのか、あるいはこれから失敗するのではないかと議論していますが、楽しみの源が何かなんて詮索するのは野暮なことかもしれません。

 ぜひ皆さんもこの謎に満ちたオープンソースの世界、考えを楽しんでみてはどうでしょうか?

宮原 徹

プロフィール

宮原氏の写真

1972年生まれ、神奈川県平塚市出身。中央大学法学部卒。今年の2月末に日本オラクル(株)を退社し、現在は(株)デジタルデザイン(http://www.d-d.co.jp/)東京支社長と(株)アクアリウムコンピューター(http://www.aqua-computer.com/)代表取締役社長を兼任。マイクロ・サーバによるビジネスソリューションを追求するほか、Project BLUE(http://www.blue.gr.jp/)を中心に、日本国内でのビジネス用途でのLinux利用促進のため、日夜活動を行なっている。いったいいつ寝るんだ、社長!?(笑)

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