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よく分かるCrusoe:Update版

2000年02月07日 19時58分更新

文● 野口岳郎 ASCII DOS/V ISSUE

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 1月19日の発表以後、ひとときPC業界の話題を独占した新CPU「Crusoe」(クルーソー。http://www.transmeta.com/)。人に会うたびに「すごいですよねあれ」といわれるので、天邪鬼な私などは「Athlonより速いってわけでもないのに、騒ぎすぎじゃないの?」と答えてきた。とはいえ、すごいかどうかはともかく「気になる」のは事実なので、頭の整理がてら、Crusoeの正体と将来をできるだけ簡潔にまとめてみようと思う。

 米Transmetaが秘密裡に開発を進めてきたx86互換の新CPU「Crusoe」の、最大の特徴は、その絢爛豪華なキーワードの数だ。政治的側面では、

  1. Paul Allen(Microsoftの共同出資者)が出資している
  2. Linuxの作者Linus Tolvalds氏が経営に参画している
  3. 社長のDitzel氏は、Sun Microsystemsにいたころ、ロシアの天才CPUアーキテクトBabaian氏とつるんでいた(?)
  4. CPUアーキテクチャ的には

  5. (Intel&HPの最強CPU「Itanium」も採用しているという、いわばトレンドの)VLIWエンジン
  6. (汎用性のある画期的なバイナリ変換技術)コードモーフィング
  7. 700MHzという現状最高レベルのクロック
  8. (IntelのSpeedStepをさらに推し進めた先進の電源管理機構)LongRunテクノロジー
  9. 1Wという驚くべき低消費電力
  10. さらにソフト面では、Mobile Linuxなる魅力的な名前のOSもあげられている

こうまで耳当たりのよい言葉を並べられては、とてつもないモノが出てきたぞ、という気になってしまうのは仕方のないところだ。

 とはいえ、CPUは、自動車や服やバッグや家電製品に比べ、まだまだ機能、性能に重きがおかれていると、私は思う。Transmetaは実に巧みにCrusoeにブランドをつけたと思うが、CPUにおけるIntelの圧倒的なシェアは、ブランド力と大量生産能力だけではなく、他を寄せ付けない(なかった)パフォーマンス、最先端の新機能の提案と装備、ライバルを排除できるだけの価格競争力があってこそである。その点Crusoeはどうだろうか?

VLIWもコードモーフィングも性能面でメリットはない

 まず不可解なのは、Crusoeのターゲットマシンが、ウルトラポータブルノートとモバイルインターネット機器としている点だ。VLIWエンジンとコードモーフィング機構を備えた強力な700MHz CPUであれば、なぜもっとも儲かり、ブランドイメージの確立にもなるハイエンドデスクトップやハイエンドノートに参入しないのだろうか。

 理由は明らかである。遅いからだ。Crusoeには「TM5400」と「TM3120」という2製品があるが、高速版であるTM5400を最高速(700MHz動作時)で動かしても性能はPentiumIII-500MHz程度であるとアナウンスされている。

 過去、CPUに画期的な新技術が採用されたときには、かならずそれによる性能=速度面でのブレークスルーが見られた。CrusoeのVLIWやコードモーフィングという未来的な言葉も、当然のように性能向上をもたらすと、ふつうなら期待してしまう。だが、700MHzで動いているのに500MHzのPentiumIII程度ということは──はっきり言えば、この2つの技術はPentiumIIIのスーパーパイプライン+アウトオブオーダー実行+高性能オンチップ2次キャッシュに比べ、効率が低いということである。

 もっともこれはあたりまえのことではある。コードモーフィングというのは、要するにx86コードをVLIWコードに変換するエミュレータである。エミュレータは一般に、ものすごい性能劣化をともなう。700MHz動作でPentiumIII-500MHzの性能が出るというのは、エミュレータの常識からすればむしろ驚くべき高性能なのだが、使う側にとってはそんなことは関係ない。最終的にスピードが出ないのなら実質的な意味はない。

 こんなふうに言葉だけが一人歩きして性能が伴わない場合(たとえばK5)、市場は期待への反動から、こういう製品をあっという間に葬ってきた。Crusoeも、カッコだけのアーキテクチャの名前だけで、実際に製品が出たら「なんだ遅いじゃん」で消えていくのか。

実は性能向上には力を注いでいない

 冒頭に9つの「キーワード」を掲げたが、このうち1つだけ、確実に価値のあるスペックがある。それは8番。通常使用時の消費電力が1W、DVD再生のような作業をさせても1.8Wというスペックは、PC用CPUとしては例のない、というより、ほとんど信じられない少なさだ。Mobile PentiumIII-650MHzは、SpeedStep技術で消費電力をフルパワー時の約半分に抑えても(この場合500MHz動作になる)、まだ8Wのパワーを必要とする。AMDのモバイル向けK6-III-P-450MHzでは実に12W。Crusoeの電力消費は、ほぼひと桁少ないのだ。

 Crusoeの最大の評価ポイントは、ここにある。そして、Crusoeの目もくらむばかりのニューテクノロジー群は、「性能」にではなく、すべて「消費電力削減」につながっている。これがCrusoeが「一見すごそうだけど、なにがすごいのかよく分からない」という印象を与えるゆえんだ。CPUクロックと電圧を16段階に同時に上げ下げするLongRunテクノロジが消費電力を減らすことは言うまでもないが、VLIWエンジンというのは、トランジスタ消費量(電力消費)に対して最も性能が出るからであるし、x86コードをVLIWコードに変換するコードモーフィングは、VLIWエンジンの外に複雑なx86デコード回路を設けるよりも、エミュレータソフトを走らせたほうが電力消費が少なくてすむからである。

 Crusoeは消費電力も小さいんだってね、という捉え方では正体を見誤る。Crusoeは低消費電力に命をかけているのだ。

 ──だが正直な話、こういわれてCrusoeに大きな興味を示す人はあまりいないだろう。なぜならPC用CPUの世界では、消費電力なんていうのはほとんどの場合どうでもいいことだからだ。確かにノート用CPUでは電力消費を9W以下にしたい、あるいは11W以下に、という縛りはあったが、それは発熱があまりに多いとCPUやシステムが誤動作するからという理由でやむなく努力しているだけであって、積極的に「できる限り省電力に」という姿勢はCPUメーカーにはなかった。そんなことより、スピードを上げたほうがよかったからだ。マシンが売れるかどうかはCPUが速いかどうかが支配しているからだ。

 Transmetaが、消費電力の話をする前に必ずVLIW、コードモーフィング、700MHzという言葉を出す気持ちはだから、分からなくはない。最初に1Wといっても、わかってくれる人はほとんどいないから。でも、すごい=速いという誤解を人々に与えたのだとしたら、あとには失望しか待っていない。この誤解をどう解いていくか、Transmetaの人はきっと苦労しているのだと思うが、それに気づいたわれわれは、彼らがなぜ低消費電力にそこまでこだわったのか、また、それによって何が起きるかを考えてみよう。

洋々たる海原は残酷な孤独の砂漠でもある

 Crusoeの上位版TM5400は、2kg以下の軽量ノートを狙っているという。日本では1ジャンルを形成したB5ノートや、これよりはマーケットは小さいが一定の需要のあるミニノートが対象になる。現状ノートパソコンにおいては、消費電力のうちCPUが30~40%ほどを占めている。Crusoeが平均1Wで動くとすれば、平均8W以上で動くIntelやAMDのCPUに比べCPUの消費電力はだいたい10分の1になるので、今のノートパソコンに比べ70%前後の消費電力ですむことになる。逆算すれば、バッテリ駆動時間は最大1.5倍くらいまでは伸びうる。

 TM5400の出荷は2000年半ば。現状B5サブノートは300~400MHzのCPUを載せているので、おそらくTM5400登場時には400~500MHzのクロックとパフォーマンスがクリアすべきバーになるだろう。そこで名目700MHz、実効500MHzくらいでバッテリ駆動時間が長い、ひざの上で熱くならないというのなら悪くはない。CPUの価格が700MHz版でも329ドルと比較的安価だし、チップセットもSouthBridgeだけでいいのでトータルプライスでも有利だ。新しいライバルとしてはVIAのSamuelがありうるが、原型となるノート用WinChip4が400MHz動作時で9Wとしている点からして、電力消費勝負ではCrusoeの敵にはなりそうもない。最大の問題は、スケジュールどおりに製造でき、十分な生産量が確保できるかどうかだろう。

 一方、Webアプライアンス系を狙うというTM3120の世界は、消費電力は重要な、場合によっては最大のチェックポイントなのだが、ここには300~500mW程度で「高性能」を売り物にするStrong ARM、SH-4、VR4121といったCPU群や、x86互換でインターネットアプライアンスをダイレクトに狙い撃つGeodeのようなプロセッサがすでにある。Crusoeの売りの1つであるx86互換にしても、いまだ標準のないこの世界では切り札にならない。コードモーフィングソフトを走らせるためにそれなりのメモリを必要とする点も不利である。ただ、200~300MIPS程度のこれらのプロセッサに比べれば、Crusoeのパフォーマンスは(おそらく)はるかに高い。現状のWindows CEマシンの多くが、パフォーマンスに難がある(それはグラフィックアクセラレータがあまり普及していないとかいう事情はあるにせよ)ためにブレークできずにいるが、Crusoeのパワーはこの状況を変えるかもしれない。組み込みCPUが従来狙ってきたジャンルほど消費電力にシビアでなく、より高いパフォーマンスが要求される、ハイエンドアプライアンス用CPUというものがあるとするなら、TM3120は参入第一号なのだろう。敵はいないといえるが、同時にマーケットが本当にあるかという問題もついてまわる。

 TM5400は先客がいるタフなマーケットに単身切り込むわけだし、TM3120は花開くかどうか分からないアプライアンス市場に命を預けている。その状況は、海という孤独と絶望の障壁に囲まれながらもけなげに生きていこうとするロビンソンクルーソーの日々の苦闘にオーバーラップするようにも見えてくる。Crusoeはロビンソンのようにいつか故国に錦を飾れるだろうか。それは、これからはモバイル、低消費電力こそ最重要と判断した、Transmetaの時代への読みが当たるかどうかにかかっている。


なおCPUアーキテクチャの詳細についてはASCII DOS/V ISSUE 2000年4月号(2月29日発売)の「魅惑のニューテクノロジー」で触れる予定です。

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