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巨大なOS

1999年12月22日 07時16分更新

文● 塩田紳二

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 最近、いろいろなサーバサイドScript(WWWサーバ上で動くスクリプト)を触っていて思ったのだが、もしかして、オフィスアプリケーションのような高度なものでなければ、簡単なブラウザが動くだけのマシンで、いままでパソコンでやってきた仕事のうちの多くがカバーできるのではないかという気がしてきた。これ自体はそんなに新しい話ではないが、いろいろ触って実感したという感じである。

 イメージ的には、NTT DoCoMoのブラウザボードやシャープ(株)のコミュニケーションパルなんてやつがあって、これとサーバ側で動くロジックを組み合わせれば、たとえば、スケジュールや住所録管理、電子メールぐらいなら、実現できそうである。また、この時期話題になる「年賀状作成」も、よく見てみると、CD-ROMにたくさんのパターンが入っていて、実際に細かく絵を作るより、それらの組み合わせに、自分の名前や住所を入れれば、裏面は完成、表面は、単なる住所データベースさえあればいいわけで、これも簡単にWeb上で実現可能な感じである(ついでに印刷して投函してくれるとありがたいが……)。

 デジカメなんかで作った画像だって、ドットごとに編集するよりも、全体的な色味やコントラストなどを変換するほうが多いので、これも、ファイルさえサーバに送れば、サーバ側のプログラムとの組み合わせで実現できそう。

 オフィスアプリケーションも、がんばれば表計算とかプレゼンテーション作成(これもテンプレートに字を載せるだけでできる部分は多い)ぐらいはなんとかなりそうな感じ。さすがに、入力とその反応が命といった感じのワープロは難しいが、たとえば、ローカルの軽いエディタで作って、Web上でレイアウトを指定、なんてやり方でなんとかなるのかも。

 どうして、こういうのが気になるのかというと、最近では、「インターネットしたいからパソコンを買う」といった感じの、パソコンを単に手段としてしか認識しないユーザーが増えている雰囲気があるからだ。以前からのパソコンユーザーには、多かれ少なかれ、「パソコンそのものを使う」ことが目的化している部分があった。1970年代には、コンピュータを触りたかったら、自分で作るしかない、という状況で、各人、それぞれ目的はあったのだろうが、それを達成する前に、やらねばならないことがあって、なんか、そのまま、手段が目的化している状態がずっと続いてきたような気がする。それが、最近インターネットという魅力的なメディアが、パソコンを手段としてしか見ないユーザーを増やしている状態である。たとえば、iMacが売れているというのも、そうしたユーザーには、CPUの性能とか、WindowsだMacOSだというのが無縁であって、インターネットができるいくつものパソコンの中で、一番目立っていたということではないのだろうか? また、iモードの電話機がアッという間に普及したのも、山手線でポケットボードでメールを書く女性を頻繁に見かけるのも、こうした理由なのではないだろうか?

 ところが、そうして見ると、最近話題の増えてきたWindows 2000なんかは、あまりに巨大という感じである(Windows95/98も十分に巨大。だってハードディスクが必須なんだから)。もちろんLinuxのディストリビューションなんかも、こうした簡易な使い方に対しては、まだ、巨大という感じがする。やっぱり、これって、「コンピュータを使うのが好きな人」の発想なんでしょうか。

(塩田紳二)

塩田紳二(しおたしんじ)

プロフィール
 雑誌編集者、電機メーカー勤務を経てフリーライターとなる。月刊アスキー、月刊インターネットアスキーなどの雑誌連載や、Web雑誌(ASCII24 Intel/MS Espresso)の連載などで執筆中。1961年生れ。一児の父。最近の趣味は、革細工。といっても、通信教育のコースを始めただけ。目的は究極のモバイル鞄づくりなのだが。

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