「Linux Conference '99」が12月17日、18日にパシフィコ横浜で開催した。昨年、日本Linuxユーザ会が主催した「Linux Conference」を引き継ぎ、今年発足した日本Linux協会が主催するコミュニティ主体のカンファレンスである。2日目となる18日には、小島一元氏と新部裕氏による「LinuxのSH-4プロセッサへの移植」と題した講演が行なわれた。実際に移植した本人によるものであり、またハッカーとして有名な両氏の講演であったためか、会場はほぼ満席となった。
まずマイクを持ったのは、LinuxをSH-4へ移植した小島氏。カーネルやglibcをSH-4対応にした際の話や、Linux SHの現状を語った。
移植のターゲットにしたシステムは、(株)日立超LSIシステムズのSH-4評価ボード「MS7750SE01」。まず、tftpでカーネルをロードできるモニタを作り、x86マシンでクロスコンパイルしたカーネルをネットワーク経由でブートできるようにした。このことにより、ロード・実行のサイクルが非常に速くなり、実機によるデバッグを始めてから、2週間のうちにカーネルを1700回以上もコンパイル・デバッグしたという。
カーネルがある程度動作するようになると、次に、ELFのデータセクションに小さなルートファイルシステムのイメージを持たせたカーネルを作って、“hello, world”を書くだけという簡単なプログラムを作成した。その後、開発を始めてから1カ月後には、NFSでルートをマウントできるたという。このような短期間で移植できた理由は、前述したようにtftpでカーネルをロードできたことに加え、MMU (メモリ管理ユニット) などのシステムが似ているMIPS R4000を参考にできたためだという。
それから、glibcなどを移植して、SH-4上でglibcなどをセルフコンパイルできるようになり、glibcをmake・installするというデバッグ作業にとりかかった。カーネルが落ちなくなるまで2週間、makeが落ちなくなるまで2週間かかったという。
現在では、Linux SHはかなり安定しており、カーネルモジュールにも対応している (渡された資料にはまだ対応していないと書かれており、開発の速さを感じさせる)。残された作業はshared libraryが使えないという問題だが、これについても現在対応を進めているところである。また、数人による移植作業が別々に進んでいたことについても、新部氏が中心となって統合を進めているという。
「自由を子孫に伝えよう」と新部氏
次に講演を行なったのは「g新部」こと新部裕氏。同氏は、LinuをのSHへ移植した際の楽しさを例に出しながら、来世紀の自由について語った。
まず新部氏は、SHへの移植を、7人が別々かつ同時に行なっていたことを挙げた。「LinuxのSuperHへの移植によって、関係のない7人が世界から集まった。この高揚感というのはこれでしか味わうことはできない。この自由を作り守ってきたGNUプロジェクトに、カーネルを作り保守してきたLinuxのコミュニティに感謝したい」(同氏)。
新部氏が移植作業に使用した、SH-3の評価ボード。秋葉原で購入したものだという。コンパクトフラッシュが挿さっている基盤は、新部氏が自分でハンダ付けしたもの。 |
写真中央のEPROMには、シリアル経由でカーネルをロードできるプログラムが書き込まれている。これぞハッカーの仕事という代物だ |
Linuxに対する日本からのコントリビューションが少ないといわれていることについて、同氏は、日本社会の慣習が阻害している部分がかなりあるのではと考えているという。
「コンピュータが好きでしょうがない、ハッカーと言われる人が日本にもたくさんいると思いますが、世界の舞台に出ていってほしい」(同氏)。
そのために同氏は、日本の特徴を生かすことが重要だと述べ、日本では確実な仕事をする技術者がたくさんおり、アメリカのハッカーのように「ガンガンやる」のではなく、得意な部分を伸ばしていってほしいと語った。
GNUのブースでGNUグッズを販売していた同氏は、「来世紀にもこういう楽しいことが、僕らの子どもでもその次の世代でもできるように、ソフトウェアの自由を守ろうと考えている」と話し、「楽しいコミュニティ、高い達成というのが実現するように、開発作業をできたらいいと考えている」と語って講演を終えた。
質疑応答
僕としてはそういった応用より、Linuxを使うことを前提に機器を作ることに意義があると考えています。