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英雄だってたまには悪いことがしたい!?「Fable II」

2009年02月01日 19時00分更新

文● 内田幸二 イラスト●戸塚伎一

悪行によって生まれる ねじれた人間心理への妄想

 「Fable II」では、悪行自体が非常に充実しているが、本来その行為自体が楽しいのかと言われれば、筆者の感覚では「おもしろい」とは言いにくい。しかし、悪行によってアルビオンになんともいえない雰囲気ができるのは確かだ。

恐怖に怯える母親と少女。善行の時は、まとわり付くように子供が寄ってくるのとは大きく違う。歩くだけで罵倒されるようになるため、正直心寂しい。「人間とは関係性の動物なんだなぁ」と改めて痛感

 例えば、ひと通り街で蛮行を行なったあと、その代償として「踊る」などして村人を楽しませると、場合によっては、好意の印であるラブサインの付く人がいる。しかし、先程まで暴れ回っていたため、群衆の意見はさまざま。聞こえてくる声は、「もっとやれー」的な賞賛から、「おまえのやったことは忘れない」という厳しいヤジまで多種多様だ。快楽重視ともいえる人から、過去を忘れない人まで、人々の考え方や個性が悪行によって浮き彫りになるのだ。これは「賞賛」を前提にしている「善行」にはない、ねじれた世界観だ。

悪意のプレイ中、人々の前でパフォーマンスをしている時に、衛兵に見られていると、「こいつ何かしでかすのでは?」という目線を感じ、ちょっとゾクゾクする。これも、ある意味で妄想プレイ

 そして、観察力をもって人々を見ていくと、もっと深いねじれ世界が見えてくる。「ラブサイン」の人の中にもヤジを飛ばす人物が含まれていたりするのだ。筆者の解釈では「本当は《スキ》だけど、周りの視線に合わせて表面的には《キライ》といっておこう」といったニュアンスとなる。そして、その人物がヤジを飛ばしながらも、後をついてきようものなら、解釈という名の「妄想」が頭を駆けめぐる。
 悪行によってねじれた世界が生まれ、ねじれた世界が「観察のおもしろさ」を生みだし、そして「妄想」へと肥大化させていくのだ。つまり、悪行プレイのもつ本来のおもしろさとは、「妄想」の肥大化という「心の中を探り合う、なりきりプレイ」ではないかと思う。

「光の寺院が襲撃されている」という伝令に、急いで光の寺院に向かうハマー。しかし、外に出てみると、光の寺院の数名がノンキに立ち話をしていた。「なぜ、非常事態にこんなところでノンビリと!」と、筆者は妄想が加速しすぎて怒りが込み上げてきた。そして、世直しの意味を込めて2人を……。そして、私は悪行に手を染めることとなった……。ちなみに、これは妄想プレイを含んだ、筆者のプレイ実話です。

(次ページへ続く)

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