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世界企業パナソニック 90年目の決断 第4回

日本企業は世界でどう戦うべきか?

「ヒット商品は親の仇」、それが強いブランドを形成する

2008年10月22日 04時00分更新

文● 大河原克行

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逆算のマーケティング戦略が製品を変える

 憧れのブランドを確立するための2つめの要素には、マーケティング戦略があるという。

 パナソニックは、2001年4月に、創業以来初めて、マーケティングという名を冠したパナソニックマーケティング本部、ナショナルマーケティング本部を設置した。牛丸副社長自身も、2代目パナソニックマーケティング本部長として、パナソニックのマーケティング戦略の原点ともなる施策を考案し、多くのヒット商品を生み出した。

 マーケティング本部では、従来、事業部ごと、製品ごとに分かれていたマーケティング戦略を一本化。フラットな組織とし、プロジェクト型の事業推進を行える体制へと変革した。

 それまでの体制は、事業部ごとに考えることがバラバラであり、市場の価格変化や、競合製品の動きに対して柔軟に対応できる体制にはなっていなかった。

 また、商品開発も遅く、商品の納期が不明であり、しかも、月末に集中してモノが入荷されるというメーカー中心の発想となっていた。

 さらに、階層が何重にもなっていたため、意思決定に時間がかかり過ぎるだけでなく、現場で起こっている事実が、隠されたままトップに報告される危険性すらはらんだ組織体制でもあったのだ。

 これが、「遅くて、重い」といわれる当時の松下電器の元凶となっていた。

 マーケティング本部が出来てから、それまでには実現しなかったいくつかの施策が実行された。

 そのひとつが、社内で「逆算のマーケティング」と呼ばれる施策だ。

 かつての松下電器時代の商品づくりは、事業部が中心になって商品を作り、商品が完成したら、宣伝部門はそれにあわせて広告を作り、営業部門は営業活動を開始するという、まさにプロダクトアウト型の仕組みとなっていた。

 商品完成後に広告の立案が行われるため、市場の認知度が低いまま、新製品が発売され、多くの消費者がその商品を認知した時には、製品寿命が終わりに近づき、競合商品のなかで埋もれてしまうという結果に陥っていたのだ。

 また、全体最適にはなっていないため、責任の所在が曖昧になり、事業部は「いい商品を作ったのに営業が売らない」、逆に営業サイドは、「売れないのは、市場の声を反映した商品を作らない事業部が悪い」ということになりやすく、製販一体型で事業を推進できる体制とは、とてもいえる状態ではなかった。

 マーケティング本部の設置によって、この仕組みを逆転させ、事業部起点ではなく、顧客起点で考えるように仕組みを変えたのだ。

 顧客が望むタイミングで、最良の商品を届けられるにはどうするか、といった考え方に変え、最大需要期を想定し、新製品発売日を設定し、そこにすべての活動のベクトルをあわせ、しかも、かつては、開発、企画、デザイン、製造段階の会議には参加していなかった営業部門や宣伝、広報部門も、商品企画や開発の段階から参画し、一緒になって知恵を絞りはじめた。

 この結果、早い段階から営業、宣伝、広報活動の立案が行えるようになり、発売直後から一気にトップシェアを獲得する「垂直立ち上げ」を実現できる仕組みができあがったのだ。

 よい製品を、最高のタイミングで、認知度を高め、結果として、商品寿命が終わるころには店頭には適正な在庫しか残らず、値下げして処分することがないということにつながる。こうした顧客起点の施策が、高い性能を持った商品としての認知と、叩き売られない商品としてのポジションを創出。憧れのブランドを確立する一因となっているのだ。

 牛丸副社長は、「まねした電器から、まねされた電器に変わった」とジョークを語るが、それこそが憧れのブランドへの一歩となっている。

次ページ「強いメーカーには、強いブランドがある」に続く

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