ありがちなタイトルで申し訳ない。22日の夜中、Kさんから電話。ニューヨークにいる同僚がAndroidの発表会に行く前にちょっと聞きたいことがあるという。私は、この日(23日)とは知らなかったのだが、1ヵ月くらい前に「The New York Times」が、9月に発表、10月に発売の予定と書いていた。同紙は「Puffin」(Google Desktop Search)のときもすっぱ抜いていた。グーグルに通じている記者がいるのかもしれない。
昨年11月、グーグルは、SNS向けの共通APIである「Open Social」とスマートフォン用プラットフォームの「Android」、および、そのための団体「Open Handset Alliance」の立ち上げを発表した。
さらにさかのぼること半年以上前に、グーグルが携帯電話を出すという噂が流れた。しかし、業界の反応は冷ややかだった。「グーグルは携帯のシロウトだから成功するはずない」というトーンの意見もあった。ところが、そうした指摘はどうもまったく的はずれだったようである。
米国はPC、日欧は携帯となった背景
第二次世界大戦中に、モトローラが、有名な「Walkie-Talkie」(正確にHandie-Talkei)を開発する。テレビ番組の「コンバット」でも、最初は、有線通信ケーブルをカラカラと引きながら前線に赴き、黒電話みたいなやつで「チェック・メイト・キングツー」とやっていた。あのケーブルを引く係になったら大変そうだし、地面に敷いていくわけなので、ニッパで切られたら終わりだよなとか思っていた。それが、途中から、高さ50cmくらいある角棒状のトランシーバーが使われるようになったわけだ。
戦争が終わると、AT&Tが、セルラー方式の移動電話(当時は自動車電話を想定していた)を開発する。1947年早々に、サービス開始をFCC(連邦通信委員会)に申し入れるが、電波に余裕がないことを理由に却下された。
電波に空きができた1970年代には、AT&Tに加えてモトローラも携帯事業に手を挙げるが、FCCは、約10年にわたって健全な競争ができる状態ではないとして許可しなかった。その間に、日本やバーレーンや北欧が先駆けて、携帯電話のサービスを開始してしまった。これが「PCは米国だが、携帯はヨーロッパや日本」となった始まりである。携帯の世界で忘れてはいけないのが、米国におけるFCCの電波行政であるわけだ。
Androidの登場は携帯のオープン化を意味する
グーグルは、そのことを良く知っていた。(ネットで「シロウト」などと書かれている間に)大胆にもこの電波の総元締めであるFCCと取引をやってのけた。同社は、2008年春に実施される見込みだった「700MHz帯の電波の競売」に際して、FCCに対して4つの申し入れをし、もしそれが受け入れられるなら高額で入札するとしたといわれる。
FCCは、申し入れのうちの2つ(どちらも端末のオープン化に関する部分)を条件付きで受け入れた。Androidの登場は、同時に、携帯電話のオープン化をも意味しているということだ。Androidがうまくいくかどうかに関してはなんとも言えないが、米国が「ケータイはオープン化しましょう」としたのだけは確かだ。
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