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トヨザキ社長のモテ本100本ノック 第4回

男としてのスキルを磨く

今月は井上荒野でモテる

2008年08月05日 23時50分更新

文● 豊崎由美

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切羽へ

著者:井上荒野
出版社:新潮社
価格:1575円(税込)
ISBN-13:978-4104731022

 というわけで、第139回直木賞は井上荒野の『切羽へ』に決まったわけですが、『文学賞メッタ斬り!』なんつー本を出してる自称文学賞ウォッチャーからすると、この授賞は順当というべきなんですの。相手関係に恵まれた感は否めませんが、運も実力のうちと申しますし、こと文章力に関しては他候補を圧倒的に引き離す資質の持ち主。かつて石炭産業が栄えたものの、今は廃墟だらけの寂れた島(モデルは長崎県崎戸島)を舞台にしたこの恋愛小説は、あらゆるものにアンテナを張ってなくちゃいけないビジネスマン必読の1冊なんであります。

 ヒロインは故郷の島にある小学校で擁護教諭をしている31歳の麻生セイ。5年前、やはり島の出身者である画家の陽介と結婚し、穏やかで幸せな生活を送っていたのですが、本土からやってきた新任教師の石和聡に惹かれてしまい――。粗筋を説明しただけだと、「昼メロかよ」とツッコミが入れたくなるようなベタな設定なんではありますが、それを描く筆致が素晴らしいんです。みなまで説明しない抑制のきいた文章にもかかわらず、乾いているわけではなく、むしろしっとり潤っている文体。たとえば、夫と散歩をしている最中、石和らしき男を集合住宅の窓の列に発見する場面の描写はこうです。
〈私は、向かいの棟の陰に黒っぽい服の男がいてこちらを見ているのに気づいた。男の姿は日差しの中で、白い紙にすうっと引いた一本の頼りない線のようだった。私と男は見つめあった。凝視しあっていた、と言ったほうがいいかもしれない〉

 セイはこの時、まだ石和と会っていません。つまり2人は、まず名もなき男女として互いの存在を意識しあうんです。その距離感が恋愛小説の始まりとして巧みですし、セイによる石和の描写にのっぴきならない緊張感をはらませ、そのことで恋の予感を読者に示す作者の技量は見事という他ありません。

 というように、古めかしくてベタな設定の恋愛を、文体で読ませる井上作品は好調な滑り出しを見せていくのですが、この連載は小説の魅力を分析するのが目的ではありませんから、早速、セイの心を惹きつけてしまう石和という男のモテ要素を拾っていきましょう。

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