1980年代に作った立派なシステムが負の遺産になる
── 日本の場合は、コンピュータの導入に関しては、1980年代までに、非常に積極的にやった。「情報化」という言葉は、もともとテレビや電話なんかも含めたより広い概念ですが、コンピュータの意味の「情報」についても違和感なくどんどんやれた。
1980年代というと、世界のグローバル企業と言われるものの半分くらいはアメリカの会社といっていいですよね。残りの半分は日本で、次は西ドイツだけどかなりの差があった。それくらいの実力があったわけですが、情報処理への投資もそれに比例していたわけです。アメリカが世界のだいたい半分を占めていて、残りの半分くらいの投資を日本もしていた。そういう時代に作った立派なシステムがあるために、かえって変えられないという部分もあると思います。
そんなわけで、日本の企業の情報システムの担当者に、ひとりひとり個別に聞いていけば、当然、オープン化もクライアント・サーバー型も知っている。しかし、話を聞いてみると簡単には変えられないというようなかわいそうな話が出てくる。特に、銀行のオンラインシステムは、導入された頃は世界の最先端だったといっていいと思うのですよ。しかし、その1980年代の第三次オンラインがいまだに動いている。
野口 現在、銀行でいくつかのシステム障害が起きていますが、その残ったシステムが原因の一つになっているとも言われる。これは、日本がいま置かれている状況を象徴しているとも言えます。
── 私は、ちょっと不思議なことがあってですね。アスキーに入社する前は、いわゆるSEとしてソフトウェアを書いていたのですが、私の現役の時代は「システムライフは5年」と言われていたのです。いまから20年以上前ですが、5年たったら、システムは書き換えるか大幅な見直しをするものだ。あるいは、システムというものは5年くらいで使えなくなるものだということだった。
だから、1980年代の第三次オンラインは、1990年代になんからの見直しがないといけなかったはずなんです。理由を聞くとお金がなかったのかもしれないし、ある人は、第四次オンラインというものを誰も提案できなかったからだと言う。それは、好意的に見れば、変える必要がなかった。しかし、それはそのシステムを作った時の常識からするとおかしいのですよ。
日本の銀行システムは、第一次オンラインで本支店が繋がったとか、第二次オンラインでATMが使えるようになったとか、システムが確実に進化していった。メーカーも新しい技術を提案できた。ところが、1990年以降、システムを大規模に刷新することができないでいるというのが事実としてあるのですよね。
