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日本のライフスタイルは変えた――次は世界だ

夏野剛氏が退社のワケを告白

2008年07月16日 04時00分更新

文● 石川 温、写真●吉田 武

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1999年2月にiモードが誕生して9年超。iモードの父とも呼ばれる夏野 剛氏がNTTドコモを退職した。同社に入社したのが1997年。それ以後、iモードビジネスの立ち上げに邁進してきた。他社も追随したことで「ケータイでインターネット」はもはや当たり前の光景になった。日本人のライフスタイルを変えた人物とも言える夏野氏。NTTドコモを辞めるにあたっての率直な感想を尋ねると達成感にあふれていた。

夏野 剛氏

夏野 剛
早稲田大学卒業後、東京ガスに入社。ペンシルバニア大学ウォートンスクールにてMBA取得。ハイパーネット取締役副社長を経て、1997年にNTTドコモに入社。2005年、同社執行役員。また、フェリカネットワークス、三井住友カードなどの取締役を務める。2008年5月に慶應義塾大学 政策・メディア研究科特別招聘教授に就任
SBIホールディングス社外取締役
セガサミーホールディングス社外取締役
トランスコスモス社外取締役
ぴあ社外取締役
ドワンゴ常任顧問
アプリックス顧問

世界がうらやむサービスを3回も立ち上げさせてくれた――ドコモへの感謝

「ドコモにはとても感謝している。11年間ドコモにいて、うれしかったのは旧来の発想では絶対に実現できなかった新しいマーケットを、確実に開いたということ」

 特に印象に残っていることとして、夏野氏は3つの転換期を挙げた。

「1つ目はもちろんiモード。2つ目はFOMAの再生。900iでは型番に始まって、すべての戦略を僕の独断で決めさせてもらった。当時の3Gは世界中でうまく展開できていなかったが、きちんとやれば成功すると証明させてもらった。それからおサイフケータイ。今でも世界のオペレータはおサイフケータイに注目している。世界がうらやむようなサービスを3回も立ち上げさせてもらったことに大変感謝している」

 1999年にiモードが登場した当初ユーザーの反応は鈍かった。しかし、インターネットにアクセスできる利便性、特に着信メロディや待受画面配信などによってユーザーが急増した。503iシリーズではJava (iアプリ)に対応させることで、ケータイによるゲームの市場を新たに切り開いていった。

技術を使うのが目的ではない――あくまでビジネスが中心

 その後のNTTドコモの強さは周知の通り。他社が追いつきたくても太刀打ちできない「ドコモ一人勝ち」の状態が長くつづいた。iモードが強かった秘訣は、「技術」ではなく「ビジネス」に徹底的にこだわったという点にある。1999年当時、ケータイ向けコンテンツを記述するのに「WAP」という携帯端末専用言語があった。しかし、夏野氏はあえて一般的なインターネットで用いられている、HTMLとの互換性にこだわった。C-HTML(コンパクトHTML)を採用することで、コンテンツプロバイダが気軽に参入できる環境を整えたのだ。

「iモードはビジネス的な見地から考えてきた。社内でも、ずっとこれは技術ではないと言い続けていた。IT革命の本質は技術のコモディティ化。技術を使うことが目標になっていては最悪。何かをするために技術を持ってくるのが本筋でしょう」

一瞬で当たり前のものになったiモード

1999年に501iモードシリーズとともに登場したiモードは瞬く間にユーザ数を増やす。他社も同種サービスを始めたことで、日本ではケータイを用いたインターネットが非常に広い範囲にまで広がっている

 C-HTML、Java、Flashなどパソコン向けに普及している技術を持ってくることで、iモードの裾野は一気に広がっていったのだった。

 しかし、その後auがデザインケータイや音楽路線でユーザーを一気に増やし、MNP(番号ポータビリティ制度)の導入後はソフトバンクモバイルがホワイトプランで猛追を続けている。そしてNTTドコモはいつしか「一人負け」と呼ばれるようになる。

 そんな状況に対しては、「MNP導入以降、何がドコモの強みなのかをはっきりしないまま、料金競争に巻き込まれている。そんなドコモを見ていると、すごく心が痛み、もっといろいろなやり方があるのになあ、という悔しさがある。最近の状況は正直辛い」と本音を漏らす。

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