ACアダプターというやっかいな代物
今回の一連の作品を手掛けたのは、ケータイが自分のライフスタイルの中心に入ってきている若い世代のデザイナーやアーティストだ。つまりケータイが当たり前にある生活の中で、彼らが「次のケータイライフってどうなるのだろう、何が必要なのだろう、どのようなデザインがよいのだろう」と考えた結果が、今回の展示に凝縮されている。
といっても今回はケータイそのものではなく、ケータイの周辺にあるデザインがテーマであるため、ACアダプターに対するアプローチが多く見られた。確かにあれはやっかいな代物だ。
nendo「socket-deer」
坪井浩尚「Bed Side Dish」
充電するのはだいたい夜寝しなに、ベッドサイドで行なうことが多い。僕も睡眠というある種の充電をするタイミングでケータイも充電し、ケータイのアラームで目を覚ます、という日常がある。
というと聞こえはいいのだが、ベッドサイドのコンセントは、常にあの黒いACアダプターのコードでこんがらがっているし、最近では充電台も邪魔になってしまって直接端末に差し込むため、ケータイの場所も一定しない。まあ横になってケータイを触る機会も多いので、充電台があるよりも都合がいいんだけれども。
このベッドサイドのコードがキレイじゃない。そういう不便さは自分の生活を見つめればすぐに理解できたし、共感も深いものだった。
そこに対して熊のぬいぐるみのアダプターにしたり、ちょっと癒される緑のツタのコードにしたり、単純にカールコードにしてスマートにしたり、はたまたコンセントがケータイの寝床になる仕掛けをしたり。こんなに選ぶことの出来る「不便の解決の手段」もなかなか見られないのではないだろうか。
また鳥かご型のBluetoothスピーカーや芝生のようなケータイのいる場所を決める作品を通じて、今回のイベントのテーマである「森の中のケータイ」のイメージを強く受けた。ケータイというガジェットは無機的だが、これを通じて展開されるコミュニケーションは有機的──。そのギャップを埋めていくような姿勢もまた、共感できるものだった。
しかしこれらの展示を見て僕が感じたことは、共感できるけれど、必然性があまり感じられなかったことだ。ここには「ケータイ」というものが叩いている、非常に開けにくいトビラが関係している。
(次ページに続く)
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