塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第6回
塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
永遠のベータ
2008年06月29日 15時00分更新
「工事中」から「進化中」へ 「ベータ」が表すダイナミズム
その昔、小型コンピューターは、中央の大型コンピューターを操作するための「端末」だった。それが次第にネットワークから切り離されて独立し、職場や家庭に入ってきた。これに伴って、ソフトウェアが単体の小型コンピューターで利用することを想定して設計され、「小売り」されるようになった。しかしインターネットが普及したおかげで、世界に散らばった小型コンピューターがまたつなぎ直され、インターネットの網の目にぶらさがる「端末」に回帰した。そうなれば、ソフトウェアが端末側にある必要はない。ソフトウェアはサーバー側で稼働し、そのサービスを人々が端末から利用する、という構図が社会全体を覆ったのである。
すると、ソフトウェアは「配布」する必要がなくなる。インターネットにつながったサーバーでソフトウェアを作動させるだけでサービスの提供がはじまり、サーバーのソフトウェアを日々更新して、サービスを提供しながら同時に不具合を修正し、新たな機能を付加できる。あたかもサグラダ・ファミリアが、公開と建築とメンテナンスを同時に行っているように。そしてユーザーは、ソフトウェアのバージョンを気にすることなく、成長していくソフトウェアをリアルタイムで利用し、最新のサービスの恩恵を受けられる。これが、ブロードバンドインターネットというインフラが人々にもたらした変革だ。
これによって、「バージョン」という概念が意味を失った。ソフトウェアをパッケージにして配布していた時代には、異なるバージョンが市場に流通してしまうため、バージョンの数値によって機能の新旧や優劣を表す必要があった。けれども、サーバーがサービスを提供するようになった現在、それは不要である。
では、オンラインのサービスに「ベータ・バージョン」と明記するところにどのような意味があるのだろう。もはやこれは、完成度の段階を表す言葉ではない。「このサービスはもっともっと進化し続けます」という宣言なのだ。いわば、「進化中」を表すシンボルなのである。だから胸を張って「ベータ・バージョン」を公開する。「進化中」なのは、誇るべきことなのだ。
(次ページに続く)
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