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テクノドリームI:工学~それは夢を実現する体系

東大工学部で富野節が炸裂!ロボットの開発なんかやめましょう!

2008年06月17日 13時00分更新

文● 吉川大郎/アスキーネタ帳編集部

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富野氏のことばその7 「“循環工学”という言い方を創出するべきではないか」

━━中須賀教授のシステム論で大事なのは、ローカルで見ないこと。地球を一つの閉鎖環境として考えたときに、もしかしたらさらに大きなシステムで考えたときに、解が見つかるかもしれない。それは宇宙というシステム、であるとの発言に応えて━━

富野氏 その時の切り口。「宇宙から考えろ」と言うからわかりにくくなるんで、だって、太陽光発電ひとつ考えたときに、太陽を視界に入れていなければどうしようもない。地球の放熱をすると考えたときに、真空の宇宙があるから放熱論があるのであって、地球単体で放熱論ってありえないよという、それだけのことなんです。そういう風に考えていけば、宇宙旅行好きだった僕なんかが言うと、やっぱり火星くらいまでの軌道上の宇宙空間というものを人類の生活圏として考える必要がある。それで逆算するなり……つまり火星くらいから地球を見下ろすくらいにして、あの青い地球という惑星をあと10億年使い続けるという視点は徹底的に大事なことなんじゃないかなと。

 渋谷にもげっそりしていて、僕がギレンだったら、コイツらやっちゃう! 立てよ国民という感じで(会場大笑い)。で、国民というのもどうか。国民をアメリカ合衆国、日本、ミャンマーを国民と置くのか、それで「こっちが正義でこっちが正義じゃない」ということは本来ないはずなんですが、我々はそういう言葉の使い方をしていたんです。共産主義国家の核兵器は善で、資本主義国家のは悪だというレトリックを平気で使う時代がありました。そうすると、そういうこと、そういう手腕ってタチ悪いでしょう? それが成立するのが政治なわけですから、そういうところに少しでもフックがかかってしまうようでは、コントロールが不可能になってくるかもしれないところまで我々は今、知識、知の行使、言葉の行使というものを気を付けなければいけないところに来ていると。そうなったときに、工学という極めて「リアル」……じゃないな、客観的視点を持って攻めていくという言葉遣いを獲得しなくてはいけないのかなと思っています。

 そうすると、有限の地球を永遠に使っていくぞと言うための工学論という、“循環工学”という言い方、本当は地球工学で良いんですけれどもね、というものを、目指すべきでははいか、創出するべきではないか。それはなにも地球工学という言い方でなくても、それがもっと一般的に親和性を持った表現が手に入ればいいなと思っているし、そういう言葉遣いを間違いなく投下していかなければいけない時代が来ているのではないかというのが、僕の感触です。それはおそらく僕自身の世代では創出することが出来ないと思います。皆さん方の時代でなんとかがんばっていただいて、未来を見させていただきたいなと思います。

 年寄りの視点としての未来とはこういう事です。自分がもう死んでもいいと思い始める年齢に入ってきたときに、死んでもいいなと思えるときの、具体的な形があります。我を継承してくれる次の我があるということが実感できると死んでもいいなと思います。そうではなくて死ねといわれるのはとても辛い。これを別の優しい言い方をすると、子供が出来れば死ねる。孫が出来れば死ねるという言い方もできるのですが、それはさっき言ったとおりです。これを工学に高めたいなと思うわけです。

 古いレトリックを言います。何で人類は戦争を続けているのだろうか。「人類史は戦争史だ」と平気で言い切れるようなことを、平気でしているんだろうか、という言い方があります。が! これだけの人口がネットを使っている電気消費量って、ある時の戦争の熱量とどっちが高いかと言うときに、実を言うと、今のIT社会の持っているエネルギー消費量というのが、ひょっとしたら戦争に匹敵するのではないかという、とっても怖い話があります。これを突破してください。

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