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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第4回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

プレゼンのカクシン

2008年06月15日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 「聞いている」人には「話しかける」のが道理だ。言いよどんだり、言葉に詰まって言い直したりするからこそ、聞く人は理解する時間をかせげる。読書とは異なり、聞く人は戻って聞き直すことができない。説明が難しいところは理解しにくいところでもあり、難解であればあるほど時間をかけるべきなのだ。それなのに、洗練された文章を流暢に読み上げてしまったら、わかりにくいところもほかと同じスピードで通り過ぎてしまう。聴衆が完全に理解せぬまま話がさらりと展開する。聴衆はわかったようでわかっていない状態に陥る。これでは「メッセージを伝える」というプレゼンの目的に反してしまう。

 聞いているだけで全部わかる。これが「いいプレゼン」の基準だ。スライドに慣れていると、それなしでは不安かもしれない。でも日常、家族や友人、上司などと話すときは、原稿もないしスライドもない。プレゼンもそういった自然な話し言葉で行えば、断然わかりやすいものになる。堅苦しくなく、親しみやすい雰囲気でプレゼンが進むから、理解のしやすさもアップする。

 さらに、原稿なしの重要な効果は視線にもある。原稿がなければ、話者はおのずと聴衆を見ることになる。これが効果絶大だ。そもそも、相手を「見る」ことはコミュニケーションの基本。相手を見てあいさつし、相手を見て言葉を選び、相手を見て話す。理解しているか相手の表情を見て確認し、場合によっては別の言葉で言い直す。目は口ほどにものを言うから、視線はときに言葉よりも雄弁だ。相手の反応も目から読み取れる。その重要なコミュニケーションツールである目線を原稿に向けていては、プレゼンの効果が半減してしまう。原稿と聴衆との間を視線が行き来するのも落ち着きがない。


(次ページに続く)

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