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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第3回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

プラスを評価する社会

2008年06月08日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 指導者は率先してその手本を見せることが大切だ。指導者がプラスをうまく見つけてそれをスマートにほめれば、ほかの聴衆も追従する。プラスの評価は伝染するのだ。やがて、それぞれが自分なりの視点でプラスを見つけ、ほめられるようになる。コミュニティー全体が、プラスを評価する雰囲気に満ちてくる。それは同時に、ひとりひとりが自分のプラスを発揮し、表現しようとするチカラにつながるのだ。コミュニティー自体が個人の成長を後押しすることになる。

 とかく指導者は、マイナス面をあれこれ指摘しがちだ。「それはダメだ」「ここがおかしい」「あれがいけない」……。欠点を指摘して「お前はダメだ」と言い続け、それでもはい上がってくれば、雑草のように強い人間に育つとの考え方もある。だが本当に、そう考えるだけでいいのだろうか。確かに打たれ強い人間になることには意義がある。しかし、指導者が真に育てるべきなのは、雑草ではなく、華麗に咲くバラとか、太陽に胸を張って咲くひまわりなどではないのか。

 指導者でなくとも、マイナスを見つけることは比較的たやすい。欠点はたいがい目につきやすいからだ。だから、それを指摘することに高い価値はない。

 本当の指導者はプラスを伸ばすことができると同時に、マイナスをプラスに導ける人だ。「こうするとうまくいきそうだよ」「これを試してみようか」「そこをもっとこうしたらどうだろう」──マイナスをプラスに転換するアイデアを提示し、プラスに進むきっかけを与えることこそ、真の指導者に求められる役割だ。友人関係でも同様だ。マイナスに悩む友人にプラスに転じる言葉をかければ、大いに勇気づけることにつながる。

 では、ショウ・アンド・テル以外に学校教育の場でできることは何だろう。授業中に手を挙げると周りの生徒からヒンシュクを買うから手を挙げたくない、という小中学生の声を耳にすることがある。そういうクラスでは、能力のある生徒ほど目立たないように縮こまってしまう。能力を伸ばす社会であるはずの学校が、機能不全に陥ってしまう。


(次ページに続く)

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