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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第1回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

表現する人、表現する社会

2008年05月25日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 こうなると「みんないっしょ」文化は強い。人々が次々とオンラインに「随想」を書き連ねるから自分も書く。人々が写真や映像を撮影して公開するから自分も撮って公開する。自分の考えを謙虚にあるいは雄弁に語り、自分の嗜好を色濃く反映した表現を社会に対して公開することが、「みんな」もやってる当たり前のことになったのだ。従来、どちらかというと表現行為を自己抑制しがちだった人々が、自分を表現し、公開し始めたのである。こうしてインターネットに情報を公開する「表現者」の数は爆発的に増加を始めた。大公開時代の始まりである。

 そこにはさらに、表現が表現を呼ぶプラスのスパイラルが生じている。コメントやトラックバックなどによって互いの存在を認知し、相互に尊重しあう。美点をほめられることで自己肯定感が育まれ、表現欲求が刺激されるのだ。大公開時代とは、公開される情報の量が増すと同時に精神的にも豊かな時代なのである。

 一方、社会には公開すべきでない情報もたくさんある。プライバシーに関わる個人情報や企業秘密などだ。これらは本来、公開になじまない。ところがたとえば悪性のウィルスに感染した「Winnyのくしゃみ」によって無数の個人情報がネットに放出されてしまうといった「意図しない公開」も後を絶たない。大公開時代の負の側面のひとつだ。Winnyに限らず、およそいったん公開されたデジタル情報を回収するのは不可能。デジタルな媒体での情報の取り扱いには細心の注意が必要なのはいうまでもない。

 我々は何事に関しても、失敗を繰り返しながらその負の部分を理解し対策を講じたうえで、正の側面を最大化するように利用してきた。始まったばかりの「大公開時代」にも同じことができるはずだ。ネガティブな面を恐れて萎縮するのではなく、表現の公開によって知的な豊かさ、知的な楽しさをふくらませていけるポジティブな社会でありたいと願う。


(次ページに続く)

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