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テレビをネットに流す意味──TOKYO MXに聞く

2008年05月02日 08時00分更新

文● 遠藤諭/アスキー総合研究所

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時間を共有している感覚が共感を生んできた


── テレビってこれからどうなるんでしょう?

本間 テレビは、ずっとテレビであり続けるしかないでしょう。「同時性」とか、「一対多数の関係性」とか、視聴形態そのものにアイデンティティーがある。

東京MXTV

東京MXTVのオフィス。テレビのメディアとしての特質のひとつに同時性があるが、現場も活気がある

 われわれが作り手として教えられてきたのは「すべてをエンターテインメントと考えろ」ということです。

 なぜかというと、テレビはリラックスしたいから見る。すべてそうとは言えませんが、ニュースの事件現場でさえテンポよく紹介される。今日、われわれがこの時代に生きているという共感が重要なのですよ。

 満月をテレビで見る意味があるのだろうか? という話があります。窓の外にも月が見える。しかし、テレビで見る満月は、みんなも見ているという共感がある。「お年寄りがテレビ好きだ」という話がありますが、そういう部分を求めているのもあると思いますよ。

 テレビは癒しの箱なんですよ。


── たしかに、「笑点」をネットでやってもなんかしまらない感じがします。全国の人が見ているという共感がないからかも知れません。

本間 ニコニコ動画などは逆に、時間というのを取っ払ってほかの部分に共感を求めている。でもテレビは、明らかに「7時だ、8時だ」という時間によって共感を保ち得ているんです。「サザエさんシンドローム」ってあるでしょう。日曜日ももう終わりだという気分になる。小学生なら月曜からまた学校かという気分になる。


お茶の間こそテレビだ


── テレビは時間的な機械であると。

本間 朝のワイドショーってありますよね。8時ごろから各局手を変え、品を変えやっています。これがお昼や夕方にまで続いています。気が付いたら「生ワイド指向」が全時間帯に拡大してしまったんです。

 テレビ番組には、ドラマとかドキュメンタリーとか色々あるわけですが、そういったものはCSなどに流れていって、映画、音楽、それぞれの専門チャンネルができた。目的別に分散したチャンネルができてくる中、「いまあったことを伝える」というところが再びクローズアップされてきているということなのでしょう。

 新聞に論評を加えたり、芸能の話題を取り上げたり……。視聴者がある種のオピニオンを求めているというのが、ネットと違う部分だと思います。朝から晩まで1億総コメンテーターみたいな感じで、自分と近しい意見、自分と違う意見を聞いている。

東京ITニュースのディレクターを務める粟野耕太氏。制作プロセスでも積極的な試みがあるという


── マスコミには本来、世論集団という部分がありますからね。

本間 テレビの歴史を見ると、最初は映画とか、演劇とか、音楽とか、以前からある世界の人がやってきて、同じことをただテレビの上でやっただけだった。

 テレビ屋がオリジナルで考えたのがワイドショーだったのです。

 「木島則夫モーニングショウ」が、ワイドショーブームのきっかけになった。「3時のあなた」とか、「ルックルックこんにちは」とかありますよね。バラエティーもテレビならではと言っていいかもしれない。「くだらない」という意見もありますが、それは本来くだらないものなのです。家族が何人か集まって、テレビを流しっぱなしにしておくには、ああいう形式がいいわけでしょう。


── テレビはまさにお茶の間だと。

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