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トヨザキ社長が選ぶこの本くらい読みなさいよ! 第6回

本物の「柔らか頭」を知りたいなら

2007年09月28日 12時00分更新

文● 豊崎由美

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仕事に追われ「最近、小説を読んでないなぁ」と感じているビジネスマンも少なくないだろう。しかし、時として小説は未来を見据える先見力を養うのに、格好の教材となりうる。『文学賞メッタ斬り!』の共著者としておなじみの「トヨザキ社長」が、ビジネスに役立つオススメの一冊を贈る。

『マジック・フォー・ビギナーズ』
著者:ケリー・リンク

本物の「柔らか頭」を知りたいなら

マジック・フォー・ビギナーズ

著者:ケリー・リンク
訳者:柴田元幸
出版社:早川書房
価格:2100円(税込)
ISBN-13:978-4152088390

「昔々、妻が死んでいる男がいた。男が妻に恋したとき彼女は死んでいたし、一緒に暮らした、やはりみな死んでいる子供が三人生まれた十二年のあいだも死んでいた。これから語ろうとしている、妻が不倫をしているのではと夫が疑いはじめた時期にも、彼女はやはり死んでいた」
 この続きをぜひ読んでみたいと思うIT系ビジネスマンの皆さん、迷うことなくケリー・リンクの最新短篇集『マジック・フォー・ビギナーズ』をお買い求めくださいまし。
 引用したのは、死者である女性に恋をして結婚、子供までもうけたのに離婚を考えている男が、妻と子供たち、そして彼らの言葉を通訳してくれる霊媒と共にディズニーランドに行く物語「大いなる離婚」なのですが、これを読んでクスクス笑えなかったり、「!」と思えない方がいらっしゃったら、それはかなりな脳硬化症。カチンコチン頭と思し召せ。

 その他、バルデツィヴルレキスタンなんてへんてこな名の土地と住民がそっくりそのまま入っているハンドバッグをめぐるモダン・ファンタジー「妖精のハンドバッグ」や、夜な夜なゾンビが訪れる終夜営業のコンビニを舞台にしたシュールなゴースト・ストーリー「ザ・ホルトラク」、すっごく奇妙な味の幽霊屋敷譚にして家庭崩壊小説「石の動物」、魔女から復讐を託された末の息子の冒険を描いたおとぎ話風の変身譚「猫の皮」、語りの技法を駆使した主流文学「しばしの沈黙」などなど、良識と常識の埒外にある短篇ばかりを9篇収録。「よくこんなこと思いつくよね」と感心しきりなんですの。

 で、この柔らか頭「どんだけー」作家のケリー・リンクの名前は、IT系ビジネスマンの皆さんも覚えておかなきゃいけませんよ。なんとなれば、現代アメリカ文学翻訳の第一人者にして稀代の小説メキキストであられる海外文学ファンにとっての「ネ申」・柴田元幸さんが惚れ込んで訳した作家なんですから。言い換えれば、なに? ビル・ゲイツがおすすめするアップル製品みたいな? 最強? てか、ありえない? みたいな?

 あ、そうそう、IT分野によく棲息するオタクが出てくる短篇もございましてよ。表題作の主人公が人気ホラー作家を父に持つ15歳のオタク少年ジェレミーなんですの。ジェレミーは放送日時が不定期でキャストもころころ変わる、まさにケリー・リンクの小説なさがらに予測不能のカルトTV番組「図書館」の大ファンで、気の合う友達数人と集まっては毎日「図書館」のトリヴィアルな話題で大盛り上がり。で、そんなジェレミーが母親の大伯母からラスベガスのヘルズ・ベルズなんて不吉な名のヘンテコなウェディングチャペルと電話ボックスを相続します。相続した電話ボックスに何度も電話をかけていたジェレミーは、ある晩、「図書館」のヒロインにして番組内で絶体絶命のピンチにあるフォックスの声を受話器の向こうに聞き、3冊の本を盗んで届けてほしいと頼まれるのですが――。と、オタク少年の恋と成長をオフビートな文体と展開で描いた、徹頭徹尾想定外の味わいをかもす異色青春小説なんです。

 冒頭で紹介した「大いなる離婚」以外にも、
「エリックが夜で、バトゥが昼だった。女の子のチャーリーは月」(ザ・ホルトラク)
「猫たちは一日じゅう魔女の家から出入りしていた。窓はいつも開いていて、玄関の扉も開いていて、それに加えて、ひっそり猫サイズの扉が壁や屋根裏に作ってあった」(猫の皮)
「これは森で迷子になることをめぐる物語である」(いくつかのゾンビ不測事態対応策)
「フォックスはテレビの登場人物であり、まだ死んでいない。でもまもなく死ぬだろう。彼女はテレビ番組『図書館』の登場人物である。あなたは『図書館』を観たことがないが、観てみたかったなあと思うことだろう」(マジック・フォー・ビギナーズ)

 といった具合に、頭の中に大きなクエスチョンマークを植えつける謎めいた文章で幕をあけ、その幕を落とさない、つまりオチをつけないこと(オープン・エンディング)によって、読者を物語の世界の中に宙吊りにするのが特徴的。読み終えても本を閉じることができない、尾を引く小説の書き手がケリー・リンクという天才作家なのです。超ド級の想像力と出合いたい、柔らか頭になりたい方は必読なんでしてよ。

豊崎 由美(とよざき ゆみ)

1961年生まれのライター。「本の雑誌」「GNIZA」などの雑誌で、書評を中心に連載を持つ。共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版)と『百年の誤読』(ぴあ)、書評集『そんなに読んで、どうするの?』『どれだけ読めば、気がすむの?』(アスペクト)などがある。趣味は競馬。

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