「サーチはいずれサチる」 だから大変だ
── ドキュメントに裏側があるという発想は、頭がやわらかくていいなと思いました。
高須賀 (ブロガーとして有名な)小飼弾さんに話したときに「デジタルの世界にも『昼の世界』と『夜の世界』があるって気付いたのはすごいね」と言ってもらえました。普通ならタグなんかを付けて処理するんでしょうが、人間は「裏と表は同一である」と勝手に認識するので、そこをトリックとして使うと、(別の画面同士を脳内で結びつけて)同じものだと認識してもらえるんですね。
── 印刷した書類の裏にコメントを書いて渡すといったことは、実社会では当たり前のように行なわれていますよね。デジタルでこれまでこんな発想がなかったのは、考えてみれば不思議です。
高須賀 パソコンではもともと1台でドキュメントを扱っていました。それがあるときネットにつながって、シェアの概念が生まれた。それが大混乱を導き出していると思うんです。不幸なのは、その過程で運び屋さん的な「シェア用のツール」を呼びださないといけなくなったことだと思います。でも、そもそもデジタルなんだから、情報自体に動いていく機能があったほうがいいんじゃないか、そう思ったんです。
既存のツールへの不満もありました。これはGoogleに対しても言えます。Googleの検索は、最初は素敵に感じて大好きで、今でも使っていますが、情報が爆発的に増えていく中では、正しくない解法だと思った。同時にWeb 2.0の流れのなかで、パソコン上のツールがそのままウェブサービス化していくことにも違和感があった。根本的な解決になってないんじゃないかと。
(インターネットが発展していく中で)有益な情報は確かに増えています。でも、分母となる情報の絶対量も増えていて、大洪水になっている。僕のイメージとしては、最初は10の情報のうち有益なものが1つあったものが、2/100になり、4/10000、8/100000000……といった感じの増え方をしている。これじゃあどんなにがんばっても、いずれサチュレーション(飽和)が起こるなと感じたんです。