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松岡美樹の“深読みインターネット” 第8回

ネット上の名誉毀損に新解釈──「ネットでは何でもアリ」にならないか?

2008年03月04日 13時40分更新

文● 松岡美樹

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「反論しやすさ」は状況によって大違いだ


 例えば「特定の個人A」に関してマスコミが誤報をした。それにAさんが反論したい。この場合、「反論しにくさ」はすごく大きい。もちろんこれとくらべればネットはマシだ。だがたとえネット上であってもシチュエーションによって状況はえらく違う。

 まずネット上で相手に反論しやすいかどうか? は、相手の書き込みが行われた媒体やツールによってまったく異なる。

 たとえばAさんがブログに書いた内容に反論し、トラックバックを送ろうとしても、相手がトラバを受け付けていなければAさんのブログに反論は表示されない。相手がコメント欄を閉じている場合も理屈は同じだ。

 さらには「その言説」がソーシャルブックマーク上のコメントで行なわれたのか? それともブログのコメント欄か? またはブログの記事上か? によっても反論のしやすさはずいぶんちがう。

 また相手がメジャーなブロガーならば、膨大な数の読者を抱えている。この場合、いくら相手の記事に反論しても、こちら側の記事を読んでいる人はケタちがいに少ないのだ。

 つまり媒体やツールの機能だけみれば、表面的には「反論しやすい」とは言える。だがその反論を見た不特定多数の第三者に、両者の「議論」が広く公平に行き渡るか?(つまり名誉毀損が解消される可能性)ははなはだ疑問である。結局、「言われ損」になる可能性が高い。



リテラシーが低い人は「事実だ」とすぐ信じる


 もうひとつ重大なポイントは、ある言説を「事実と信じるかどうか?」は人によってまるで基準がちがう点だ。たとえばネット上のブログで、こんな記事が公開されていたとしよう。

「牛丼屋のAで店員をしていたオレは、牛丼にハエを入れまくってクビになった。半年間、入れ続けたが、店には気づかれなかった」

 反応は次の2通りだ。

【リテラシーが低い人】

 この記事を読んだ時点で「事実だ」と考える。


【リテラシーの高い人】

 自分で牛丼屋のAに確認し、当該ブログ記事のウラが取れた時点で初めて「事実だ」と認識する。

 ネット上には、前者に該当する人がたくさんいる。

 だがそれでも本人は、「自分はネットで検索して調べた。よそのブログを読んで確認したんだ。個人に求められるレベルの調べ方はすでにやった」と考える。

 しかも本人はすでに事実だと信じているのだ。その認識にもとづき次の行動に出る可能性がある。

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