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石井裕の“デジタルの感触” 最終回

石井裕の“デジタルの感触”

Macintoshを通じて視る未来

2008年02月10日 12時03分更新

文● 石井裕(MITメディア・ラボ教授)

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美しいマイナーマシン、Macintoshへ


 本連載でも以前に述べたことがあると思うが、当時の主流はまだメインフレームコンピューターと文字ベースのCUI(Character User Interface)であり、20代の私の目に焼き付いたStarのGUI(Graphical User Inter face)は強烈なインパクトを放っていた(参考記事)。同時に、「何故このような先進的なコンセプトや技術が、日本から生まれなかったのか?」という深い疑問を心の奥底に植え付けた。あの時の「感動」=「屈辱感」が、その後、自分がヒューマン・コンピューター・インターフェースの研究を続ける大きな原動力につながっている。

 Starが市場から消え、そしてLisaもそれに続いたあと、頼りなげなスペックで登場しながらも、私に希望の光を灯してくれたマシンがMacだ。9インチの小さな白黒スクリーン、最小限のメモリーとハードディスク──ほとんどおもちゃのようなマシンだったが、その親しみやすいユーザーインターフェースは、当時のオフィスを跋扈していた「PC-9800」や「OASIS」シリーズを大きく引き離していた。

 しかし、スクリーンの小ささは仕事の非効率に直結しており、大型の外部モニターを自由に接続できる「Macintosh Ⅱ」の登場までは、ひたすら忍耐の時代を強いられたことを覚えている。

 複数の大型モニターを接続できるうえ、外付けハードディスクからも自由に起動できるMacは、その後のCPUスピードの向上やメモリー容量の増加、ソフトの充実などにより、本格的なビジネスマシンとしての能力を'80年代の終わりころまでに確立していた。

 その一方で、メインストリームのWindowsマシンの勢いは衰えることを知らずにいた。Macはその後も常に弱小勢力にとどまり、一部の熱狂的なマニアのためのマシンという、私にとってはのめり込むのに理想的な地位に収まっていた。巷ではやっており誰でも使っている耐久消費財のような美しくないコンピューターは決して使いたくない。一部の感度の鋭い連中だけが熱愛している美しいマイナーなマシンを使うことが、自分のスタイルなのだと、強く信じていた。


(次ページに続く)

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