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松村太郎の「ケータイが語る、ミクロな魅力」 第14回

通話ができるCyber-shot「SO905iCS」

2008年02月08日 15時48分更新

文● 松村太郎/慶應義塾大学SFC研究所 上席所員

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ケータイで変わったカメラの使い方


 ほとんどの人が必ず持ち歩くケータイにカメラが入ったことで、ここ数年、普通の人のカメラに対する認識が変わってきている。

 まず、記念日や運動会といった非日常のイベントだけでなく、中高生の間で流行した使い捨てカメラのように、完全な日常の写真が量産されるようになった。しかもカメラ付きケータイなら、撮った写真をメールで送信できる。日常を写し、瞬時にそれが伝わっていく。

 また、撮影スタイルも変化している。カメラを顔の前に構えてシャッターを切るというスタイルが、ケータイでは、端末を体から離して片手で構え、親指でシャッター切る方法に変わった。コンパクトデジカメの普及も相まって、ファインダーを片眼で覗かない撮影スタイルが一般的になったのだ。



ニュースにも使われたケータイ映像


 写真というモノの意味合いが変化する過程の中に、今があると僕は感じている。

 カメラがより身近になったことで、社会における影響力も無視できなくなった。

 例えば、盗撮の問題がある。ケータイは操作している姿も、カメラで撮っている様子も遠目に見ると変わらない。だから盗撮防止のために、必ずシャッター音が鳴って、それを解除することができない。海外のケータイではオフにできる機種も多いが、日本では一切ダメだ。

 この処置に納得できないわけでもない。公共空間にカメラがばらまかれる以上、プライバシーの問題と無関係でいる方が難しい。

 ただ、ネガティブな要素ばかりでもない。もしかしたら、社会的なインフラとして使える可能性もある。自分のブログをさかのぼると、カメラ付きケータイが登場してから3年目の2003年6月、テレビのニュースにケータイカメラで撮影された映像が使われたことが書かれていた。

 高速道路で起こった事故のビデオで、現場に出くわした人が手元のケータイで撮影したのだろう。画質はカクカクと粗かったが、それでも燃えさかるトラックの様子がしっかりと記録されていて衝撃を受けたのだ。

 一方で、ヘリコプターで現場に駆けつけた報道の高画質なカメラは、燃え尽きたトラックの様子しか映し出せなかった。この瞬間、画質以上に被写体のパワーのほうが強いことに気付かされたのを覚えている。


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