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池田信夫の「サイバーリバタリアン」第1回

もはや一流ではない日本経済──諸悪の根源は「家父長主義」にあり

2008年01月29日 14時54分更新

文● 池田信夫(経済学者)

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「サイバーリバタリアン」とは何か


 今週から連載を始めることになったが、最初にこの奇妙なタイトルを説明しておこう。

 サイバーはともかく、リバタリアン、あるいはリバタリアニズムというのは、まだ日本ではあまりなじみのない言葉だろう。定訳もなく、「絶対自由主義」とか「自由至上主義」とか訳されたりするが、これはちょっといけてない。

CODE version 2.0
「CODE version 2.0」(翔泳社)

 こういう奇妙な言葉が使われるようになったのは、米国でliberalが「大きな政府」を求める人々を指すようになったので、「小さな政府」を守る古典的自由主義者を「libertarian」と呼ぶようになったためだ。だからこのコラムでは、「libertarianism」を自由主義と訳すことにする。

 サイバーリバタリアンという言葉も、10年ぐらい前から使われている。これはちょうど先月、新版の訳本が出たローレンス・レッシグ「CODE version 2.0」のテーマのひとつだ(訳文が汚ないので、無料でダウンロードできる原著を読んだほうがいい)。

 そこでレッシグは、ジャーナリスト、デクラン・マカローをサイバーリバタリアンと呼び、彼がいかに分かっていないかを論じている。

 デクランの政治学は明快だ。彼は聡明なリバタリアンである。政府のかかわる提案に対する彼の反応は、まず軽蔑することだ。最近のメッセージで、彼は迷惑FAX禁止法に違反したイギリスのプロバイダーの例を出した。これは迷惑メールの規制が無意味であることを示している、と彼はいう。

 レッシグはこれを批判し、迷惑メールのように市場の失敗があるときは政府の介入が必要だという。

 残念ながら、分かっていないのはレッシグのほうだ。私あての迷惑メールは1日に200通以上来るが、そのうち受信箱に入るのは1〜2通しかない。グーグルのメールシステム「Gmail」が、正確にフィルタリングしてくれるからだ。

 このように技術的に解決できる問題に介入する政府の失敗のほうがはるかに有害だ、というのが(私を含めた)リバタリアンの主張である。


(次ページに続く)

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