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明と暗、ふたつの顔を持つカリスマ「スティーブ・ジョブズ」の記録

2008年01月13日 23時00分更新

文● 大谷和利

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インタビューで見た、素顔のジョブズの思い出


 最後に、スティーブ・ジョブズを個別にインタビューした際の思い出を披露して、この記事の締めくくりとしたい。もう十数年前のことになるが、そのインタビューは、ホテルオークラの一室で行なわれた。

 ジョブズは、自らが経営補佐のためにペプシコーラからヘッドハンティングしたジョン・スカリーの手で1985年にアップルから追放された。ジョブズの経営者としての経験不足と理想主義が、現実的なビジネスを推し進めたいスカリー以下の経営陣から敬遠されたことが主な原因だった。

 しかしジョブズはすぐに、高等教育用のワークステーションを開発販売するネクストを設立。1989年にキヤノンが同社に1億ドルを出資したことから、東京ディズニーランドに隣接したホテルで日本向けの大規模な製品発表会を行なった。その翌日、彼はさまざまな国内メディアから個別のインタビューを受けることになり、筆者もその取材グループの一員として、ジョブズが滞在するホテルオークラを朝一番で訪れたのだ。

 当時からジョブズには気むずかしいところがあると噂されており、筆者らもやや緊張した面もちで待ち時間を過ごしていた。現在のようにインターネットもなく、限られた海外メディアを通じてしかアップルの情報を得られなかった当時の日本では、アップルを設立してパーソナルコンピュータビジネスを成功させた伝説の男は、まさにスーパースターのような存在だったのである。


上機嫌のジョブズ、幸運だったのか……?


 ところが、ほぼ時刻どおりに現れたジョブズはとても穏やかで人当たりが良く、まるで肩すかしをくわされた気になった。筆者が、この日のために用意した Macintoshのアイコンをちりばめた自作名刺を差し出すと、彼はそれを嬉しそうに受け取り、二言三言、それについて言葉を交わした。このことも彼に対する好印象を強めた。

 しかし、和やかな雰囲気の中でインタビューが無事に終わり、筆者らが部屋を出ると、キヤノンの担当者はこんなことを言ったのである。「あなた方は幸運ですよ。朝からあんなに上機嫌なジョブズは見たことがありません。かと言って、順番が後になればなるほど、彼は同じ質問をされることに嫌気がさして不機嫌になるでしょう。いや、本当に幸運です」。

 後に、ジョブズの評伝を訳したり、さまざまな機会に彼に関する情報を耳にしてきたが、そのたびに、筆者には、あの日のホテルオークラでのエピソードが蘇ってくる。それからのジョブズは、ネクストで辛酸をなめ、ピクサーでCG映画業界の頂点に立ち、経営者としての経験を積んで、以前よりも大人になってアップルCEOに返り咲いた。優れた才能を持つスタッフたちが、ジョブズの指揮の下で「最高」を追い求める。そこにアップルの強さがあり、今の時代が欲し、熱狂するアップル製品の魅力が隠されているのだ。


※ 本稿の元となった新書「iPodを作った男」では、これ以外にもアップルのデザイン、ジョブズの経営方針、アップルのプロモーション戦略など、多彩な側面からアップルの成功の理由に迫っています。詳細は関連ページをご覧ください。


筆者紹介 - 大谷和利


1958年生まれ。テクノロジージャーナリスト、私設マック・エバンジェリスト、原宿「アシストオン」アドバイザー、自称「路上写真家」など様々な顔を持つ。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピューター専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングなどを行っている。著書に『スティーブ・ジョブズの再臨』(翻訳、毎日コミュニケーションズ)など。

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