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明と暗、ふたつの顔を持つカリスマ「スティーブ・ジョブズ」の記録

2008年01月13日 23時00分更新

文● 大谷和利

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二面性のある人物像


 企業における部下の掌握術のひとつに、「飴と鞭を使い分ける」というものがある。言葉を換えれば、褒めるべきところはしっかり褒め、叱責すべきところはきちんと叱責するということだ。スティーブ・ジョブズは、この面でも非常に長けている。

 あるときには、些細なことから大勢の同僚の前で部下を怒鳴り散らし、自信喪失に至らせてしまう。しかし、それを乗り越えて水準を超える働きをした者には、最大級の賛辞を惜しまない。

 良く言えば感情が豊かであり、悪く言えば気まぐれとも感じられる彼には、その性格を巧みに操って、周囲の人間たちに自らのビジョンを説き、納得させてきた歴史がある。思えば、70年代後半のアップル創生期、同社は「2人のスティーブ」で成り立っていると言われていた。それは、スティーブ・ジョブズと、当時のベストセラー製品だったアップルIIの開発者、スティーブ・ウォズニアックのふたりのことだ。

 そして時は流れても、アップルは相変わらずふたりのスティーブで成り立っていると言える。ジョブズの中に存在する、温厚で人をやる気にさせるグッド・スティーブと、冷酷で人を震え上がらせるバッド・スティーブである。


良くも悪くも人をひきつける「カリスマ」


 しかし、そのどちらが欠けても魅力的なアップル製品は生まれてこなかっただろう。カリスマ的という言葉で片づけるのは簡単だが、確かにジョブズは、良くも悪くも人を惹きつける魅力と、周囲の人間を巻き込んで何かを成し遂げる力を秘めている。可もなく不可もないような人間からは、そうした推進力は生まれない。

 そのためにスタッフが受けるプレッシャーも相当なものだが、アップルには、ほんの数ヵ月もしないうちに、いたたまれなくなって辞めてしまう人間が居る反面、もう15年以上もジョブズの下で活躍してきたメンバーも存在する。彼らが口々に指摘するのは、自らの限界を超える力を発揮して何かを創造することは、ジョブズなしには不可能だったということだ。

 自分の任期を、株価ばかり気にして無難にこなそうとする単なる雇われトップではなく、多少の浮き沈みはものともせずに毎年のように社運をかけた創造的な製品作りの陣頭指揮をとる彼を、スポーツの世界で喩えるなら、わがままだが常識にとらわれない戦術を繰り出て連勝記録を更新し続ける名監督だと言える。

 脱落者を生む厳しい練習や、故障者が容赦なく切り捨てられる現実を見ると、ファンとしてはチームの一員になろうとは思わないが、力のあるベストメンバーで臨むその試合を誰よりも強く応援し、楽しみたいと感じてしまうのである。


素顔のジョブズは「はにかみ屋」で「策略家」


 ところで、日本風に言えば「名物CEO」ということになりそうなジョブズだが、実は、彼は端から思われているほど目立ちたがり屋ではない。特に、街を歩いているときなどに、周囲が自分に気がつくことを極端に嫌い、たまたま道で転んだところを彼に助け起こしてもらった女性がその親切な男の正体に気づいたときに、ジョブズは当惑したほどだ。

 その一方で、彼は世間に対する自分のイメージを最大限に活用しようとする戦略家であり、アップルに復帰する前に指揮していたネクストの時代には、フォーチュン誌とビジネスウィーク誌に独占インタビューの話を持ちかけて、そのどちらにも特集を組ませ、発売日に双方の編集部が大騒ぎになったという逸話も残している。これと同じことを並みの企業のトップが行ったとすれば非難ごうごうとなることは避けられず、以降の取材ボイコットに発展しかねない離れ技だ。

 ところが、そんな仕打ちをされたにも関わらず、2誌は今日に至るまでジョブズの動向を追い、インタビューを掲載し、メディアとしての使命を果たしてきた。それは、アップルのことはジョブズ自身の口から語ってもらうのが、一番的確で効果的だと知っているからだ。彼は、余計なことはしゃべらず、質問をはぐらかすこともあるが、答えられる問いの場合には絶対に退屈な話はしないし、要点を押さえてストレートに語ってくれる。そのまま書くだけでも記事になるようなトークのできるジョブズは、マスコミにとっても重宝な存在なのだ。

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