このページの本文へ

石井裕の“デジタルの感触” 第25回

石井裕の“デジタルの感触”

切り捨てることの対価

2008年01月06日 17時11分更新

文● 石井裕(MITメディア・ラボ教授)

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷


マシン移行のもどかしさ


 限られた研究予算の中、Tangible Media Groupの学生の多くにはすでにMacBook Proを持たせているが、自分自身はそれよりも処理速度が一段も二段も遅いPowerBook G4を使っている。マシンが遅くても学生には決して負けない仕事の処理性能を発揮することを、これまでのモットーとしてきた。すなわち、コンピューターのスピードの遅さを、学生の研究が遅れる口実にはさせないという教育的配慮である。

PowerBook G4

PowerBook G4 15"

 しかしながら、学生が使っているMacBook Proの処理速度を間の当たりにすると、正直心が揺らぐ。私自身これだけ仕事をして、研究資金の調達(fund raising)も成果を上げているのだから、そろそろPowerBook G4からMacBook Proへアップグレードしてもよいのではないかと、最近ひそかに考え始めていたところだ。そこに、先の非互換の話である。現在、大学と自宅で合計3台のPowerBook G4を使っているが、それらをすべて一気にアップグレードすることはできない。とはいえ、ひとつの起動ディスクで複数マシンの一貫性・保安性を保つという方法はあきらめたくない。

 かつて、OS 9からOS Xへの移行では同じハードディスクからOSだけを切り替えて双方の環境を利用できたように、PowerBook G4とMacBook Proのシステムをまとめた外付け起動ディスクを作れないものだろうか? データの共有に障害はなく、ソフトはユニバーサルバイナリーという仕組みが用意されているのに、肝心のハードウェアに互換性がないのが現状だ。



上位互換という幻想


 ここで思うのは、「上位互換」という幻想である。過去の資産がそのままそっくり生き、なおかつよりよい環境になる──そんなうまい話にはなかなかお目にかかれない。過去の何かを切り捨てる対価として、新しい機能や性能を手に入れられるというのが現実だ。

 使い慣れた機能を切り捨てるのはつらい。すでに数年前の出来事になってしまうが、確かにOS 9からOS Xへの移行ではそういった苦痛を味わった。しかしながら、結果的にはそれが報われるだけのメリットを享受できた。今回ソフトウェアは変わらないものの、使い慣れた自己流の作法を切り捨てる対価として、十分報われるだけの速度的なメリットを感じられるのだろうか。


(次ページに続く)

カテゴリートップへ

この連載の記事

ASCII.jp RSS2.0 配信中