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松岡美樹の“深読みインターネット” 第4回

グーグル版Wikipedia「knol」が問う、匿名か実名か論議

2007年12月17日 22時20分更新

文● 松岡美樹 タイトルイラスト●さとうゆり

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「何を書く場合か?」が欠落した実名論議は机上の空論だ


 ただひとつ残念なのは、この手の実名・匿名論争では重要なポイントが欠落しがちな点だ。大抵の場合、実名または匿名で「何を書くケースを論じるのか?」の前提がない。だから議論が机上の空論で終わり、リアリティーがないのだ。

Wikiscanner

誰が書いたのかが分かるWikiscannerは、省庁や関連企業によるWikipediaの編集という実態を明らかにして、問題となった

 上記の議論はWikipediaとknolの話だから、テーマは限定されている。だがこれを広く一般論として語るには、とうてい無理がある。

 どういうことか?

 例えばWikipediaやknolみたいに客観的事実を積み上げた「辞典」を志向するメディアなら、書き手は別に実名でもそれほど差し支えないだろう。「実名だから書けない」という絶対的な理由はあまり見当たらない。

 誰が書いても天と地ほどの大差がないのが、客観的事実たるゆえんだからだ。ゆえに実名で解説を書いたからといって、あとから本人に何らかの災難が降りかかる可能性は高くない。

(もちろん「ではどんな内容の客観的事実を書くのか?」は問題になるが)



「体験実話入り」の文章が実名で書けるか?


 だが一方、Wikipediaみたいな「辞典」じゃなく、一例として芸術性の高い文章を書く場合には実名かどうかは大きなポイントになる。

 例えばプライベートな実話を織り交ぜながら、人間が生きる意味について書く場合はどうだろう? あるいは自分の性的な体験を綴ることで、「性は人間にとってどんな存在か」、「人間は性でいかに変わるか」など、人間と性の根源的な関係を考察した文章を書く場合なら?

 そのほか自分の体験をもとにした笑い話や小ネタをウリにする素人ブログの類など、「存在する意義は十分あるが実名では書きにくい文章」なんていくらでも考えられる。結局、「それは何を書く場合なのか?」という前提のない議論じゃ意味がないのだ。

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