パーソナルコンピューティングの最初のエポックは、
アップルやコモドールではなくHPなのだ。
HPが、2007年7月に35周年記念を祝った電卓「HP-35」は画期的な製品だった。
科学技術計算用の関数機能を持ちながら、ポケットに入る大きさだったからだ。それまで、関数の値を求めたいなら計算尺で3桁くらいの精度のものを使うか、辞書のように分厚い数表から引くしかなかった。
これにどれほどの価値があるかは、この両方を体験した世代にしか分からないかもしれない。ポケットサイズの関数電卓は、シャープやカシオなどの日本メーカーからも相次いで発売されることになるが、HPは、RPNの合理性とプログラム機能でまるで別モノだった。HP-35と同じ年に発売されたHP-65は、プログラム機能を持った電卓で、それを独自の磁気カードを読み書きできた。
パソコンになれなかった電卓
初期のマイコンが誰にでもすぐに使える製品になったのは、1977年。日本では「御三家」といわることになる「Apple II」「TRS-80」「Commodore PET」が登場してからである。それまで、個人が所有できるほとんど唯一のプログラミング環境が、HPのプログラム電卓だったと言ってもいい。
日本でもプログラム電卓は発売されることにはなるが、パーソナルコンピューティングの最初のトピックは、HPのポケット関数電卓の中にあった。
ところが、1972年に、プログラム電卓が作られ磁気カードの読み書きまで可能だったにもかかわらず、それは自然にパソコンに発展することはなかった。
プログラム電卓が、あくまで計算の道具で汎用目的のコンピュータではなかったというのがその理由だろう。しかし、初期のパソコンの最大の利用目的のひとつは計算にほかならなかったのだ。そんなわけで、HPだけではなく、米国とソ連を中心に、英国やドイツや、例えばアルゼンチンなんかでもRPN方式を採用したプログラム電卓や関数電卓が作られることになる。