ワーノックの理解がなければPhotoshopはなかった!
―― 2人で会社を作って、Photoshopを売って行こうとは思わなかったのですか?
ジョン ええ、実際にそう思ってノールズ・ソフトウェア(Knoll's Software)を立ち上げました。トムはフルタイムでしたが、私はILMにいたので副業という形でした。
トム 実際に自分たちで(Photoshopを)売ることも考えたのですが。
―― では、どうやってアドビ システムズに?
トム 当時、アップルコンピュータ社に知り合いがいまして、米SuperMac社(ディスプレーのメーカー)に話をしてもらいました。実際に取引きをしようという話になったのですが、その当時、SuperMacは米サイエンティフィックマイクロシステム(Scientific Micro Systems)社に買収されたばかりで、「財務状況などが落ち着くまではすぐには契約できない。辛抱強く待ってくれ」と言われたのです。それで待っていたのですが、その当人はある日、クビになっていたんです。せっかく取引きの話になっていましたが、その一社との話に依存するのはリスキーだと思ったんです。
―― SuperMacは大きな魚を逃しましたが、それよりもアップルが先に逃がしちゃってますね(笑)
トム それで、「Seyboldカンファレンス」(当時、DTPをはじめ、デジタルパブリッシングの黎明期を牽引した伝説的なカンファレンス)に行って、ブースを回ったんです。その中にアドビ システムズのブースもありました。ブース担当者と名刺交換をして、フレッド・ミッチェルとミーティングするように言われました。ミッチェルと面会するとすぐに翌週、当時の社長だったジョン・ワーノック(John Warnock)を訪ねることになって、そのミーティングでのプレゼンテーションもとてもうまくいきました。なんと言っても、ワーノックがPhotoshopのコンセプトとその価値を理解してくれて、Photoshopに適切な注目が注がれたということです。ワーノックは本当にすぐに理解してくれました。彼はとても賢い人で、しかも(Photoshopに)どれだけのポテンシャルがあるのかも理解していました。
―― その後は?
トム アドビと契約を交わして、後はみなさんがご存じの通りです。
レイヤーのヒントはアニメのセルにあった
―― その後、おふたりのPhotoshopへの関わり方はどうなったのですか?
ジョン 私はバージョンが新しくなるにつれて、徐々に開発から離れていきました。それと反比例するように、ILMではより重い責任を持たされるようになりました。
トム 私はエンジニアリングチームが大きくなるに従って、仕事を選べるようになりました。アドビがなんとか私にPhotoshopに携われるように、仕事を選ばせてもいいと思ってくれているのは本当にありがたいと思っています。
―― Photoshopを発明してから、いままでどのような機能の開発に関わってこられましたか? また、どの機能が印象的ですか?
トム カラーマネジメントやCamera RAWのフィーチャー(機能)に関わってきました。関わった中では特にCemera RAWが気に入っていますね。開発に関わったかどうかは別にすれば、Photoshop全体ではレイヤーが気に入っています。
―― レイヤーは革新的ですね。
トム 「革命的」と言ってもいいと思います。実はレイヤーを開発する以前にも似たようなフィーチャーはあったんです。バージョン1には「ボーディング・セレクション」というものがあって、画像をもうひとつの画像の中に移して、それを動かすというものです。複数のオペレーションをフロートさせながら別のオブジェクトを扱える、レイヤー的なアプローチを含んでいました。ですが、それではやりたいことをするのに十分とは言えませんでした。新しいものを描きたい時にはフローティング・オブジェクトでは対応できなかったのです。それでアニメーションのあのやり方を模したんです。
―― やはり! レイヤーのヒントはアニメのセルにあるのではないのかと思っていましたが。
トム まさにそうなんです。
―― 最後になりますが、Photoshopを使っている読者の皆さんにメッセージをお願いします。
トム 常に難しかったことが簡単にできるようになるように心がけて開発にあたっています。写真を撮るものとして、昔からやりにくかったものにパノラマがあります。このパノラマに対応させるツールを開発するのが難しく、時間もかかりました。Adobe Photoshop CS3のパノラマ機能はとてもいいものになったと思います。パノラマ作りが楽しめる機能です。ぜひお使いになってみてください。
ジョン 今日まで続いているAdobe Photoshopが最初の頃から目指してきたのは、アーティストがいかに技術に縛られずに、自分の時間を芸術の部分に費やすことができるか、でした。少しでも機械的に組み合わせるアセンブリの時間を取り除くことに(開発時間を)費やしてきました。これは今も、まったく変わっていないと思います。
―― 歴史的なインタビューを実現させていただき、ありがとうございました。