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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 第7回

九龍城で生活、日本で引きこもり、議員になった“飛び地男”

2007年09月17日 08時00分更新

文● 古田雄介

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修論のために“世界飛び地領土研究会”を立ち上げ


── 世界飛び地領土研究会は、どんなきっかけで作り始めたんですか?

吉田 香港で引きこもり中、早稲田大学大学院の社会人入試を受けたら合格したんです。帰国して大学院に通い、修士論文を書く時期になりました。そのテーマに飛び地を取り上げようと思って、メモみたいなつもりであのウェブサイトを始めたんです。

 どの飛び地を研究しようかと迷って、色々な情報を書きつづったんですよ。2002年4月でしたね。だから、読者に見せるためのページじゃなかったんです。あくまでも自己満足というか、修論目的で自分が書きたいことを書くというスタンスで始めました。卒業した今でも続けていますが。


── 自己満足の割には、よくまとまってて読みやすいです。

吉田 僕も出版の仕事をしていたんで、適当な文章を書けない体なんですよ(笑)。リンクを貼ったり地図を載せたりしているんですが、それによって読者に喜んでもらおうとか、アクセス数を稼ごうという気はありません。ブログやサイトを見ると、双方向って感じで運営する人もいますけど、僕は完全にこっちからの一方通行ですね。

消滅した飛び地の地図など、貴重な資料を掲載している。大学院在籍中は大学図書館の古い資料からの引用が主だったとか。最近では海外サイトを参考にすることが多いという


── 更新のサイクルが不定期なのも、そのためですか?

吉田  そうです。僕の勝手な都合でやっています。自分が暇なときや気が向いたときは、集中して2カ月くらい毎日のように更新しています。今みたいに別の仕事が忙しくなったり飽きたときは、半年くらい放置状態です。


── 半年休んでも、また続けられるっていうモチベーションはどこから来ているんですか? 普通だとそのまま過去のものになったり、継続しても2〜3年で飽きてしまう。

吉田 それは半年間休んでいるからです。やっぱり、1年ぶっ続けでやっていると飽きちゃいますしね。半年くらい読むのも書くのも休むと、自分で自分のウェブサイトを読んでも新鮮だし、またイチからやろうかって思えてくるんですよ。



緊張状態の飛び地は増えている


── ただ、東西冷戦が終結した頃から世界的な対立は薄まり、それに伴って吉田さんが興味を持つような緊張状態の飛び地も減っているように思います。この現状はネックになりませんか?

吉田 いや逆に、緊張状態の飛び地は増えていると思います。飛び地というのは、色々な世界情勢によって生まれるんです。19世紀の近代国家ができた頃や、ヨーロッパの列強によるアフリカやアジア、南米の植民地支配、第二次世界大戦後の植民地独立や国土分割などね。

 東西ドイツなどの冷戦終結後、確かに統合された国もありますが、ソビエト社会主義共和国連合やユーゴスラビアは崩壊しました。その崩壊により、中央アジアや東欧あたりに新しい国境間の飛び地がいっぱいできたんです。

 例えばソ連の場合、民族ありきで共和国を作っていました。「タジク人が住んでいるから、ここがタジキスタン」みたいな感じですね。タジク人の集落は必ずしも1カ所に固まっていないので、国内に多数の飛び地を抱えていたわけです。

 それが冷戦の集結で崩壊し、隣国同士の紛争が多数勃発して、各国の飛び地が一番被害を受ける結果になった。だから、今、緊張が高まっているんです。


拡大地図を表示

── なるほど。同じ飛び地でも周囲と緊張状態にあるところと、そうでないところがありますが、なぜ緊張は生まれるんでしょうか?

吉田 やっぱり経済格差ですよ。飛び地だけ貧しいとか、逆に飛び地だけ豊かとか。経済格差さえなければ軋轢はあまり生じないんです。


── そういえば日本国内の市町村内でも飛び地がありますが、経済格差はあまりないですよね。

吉田 はい。だから、まったく興味がないですね。


(次ページに続く)

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