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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 第7回

九龍城で生活、日本で引きこもり、議員になった“飛び地男”

2007年09月17日 08時00分更新

文● 古田雄介

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大宮市が消滅し、政治の世界へ


── 世界飛び地領土研究会から3カ月後の2002年10月に、“大宮市亡命市役所”というサイトを立ち上げていますね。

吉田 日本に帰ってきたら、故郷の(埼玉県)大宮市が、浦和市、与野市、岩槻市と合併して、さいたま市になってしまったんです。大宮市は浦和市と同じくらいの規模だったにもかかわらず、行政面などで植民地のような扱いを受けていたので頭に来たんです。

 そのあと、さいたま市の市長選挙があって、ある候補の演説で野次を飛ばしたら、その支援者に囲まれて「無責任なこと言うな」と凄まれました。そのとき、売り言葉に買い言葉で「なら出てやる」という気持ちになって、僕も市長選挙に出馬したんです。完全に泡沫候補で、落選しましたが。

 それからまた引きこもりに戻って、その最中、2002年に“大宮市亡命市役所”を立ち上げて、大宮独立を掲げたわけです。

大宮市亡命市役所

吉田氏を政治の世界に誘った“大宮市亡命市役所”。ここで掲げられているメッセージが、吉田氏の政策となっている


── 国内の飛び地に興味がないといっても、故郷の合併は無視できなかったわけですね。

吉田 そうですね。世界飛び地領土研究会の後半を見ていただくと、単に飛び地だけでなく、植民地や国のあり方みたいな考察が多数載っていると思います。飛び地研究を通して、国や住人の意義などを考えるようになりました。その最中に故郷が植民地化されたわけですから、思うところはありましたよ。



落選と引きこもりを2度繰り返して、市議会議員に


── その後、さいたま市の市議会議員選挙に当選されたという。

吉田 最初は出る気がなかったんです。しかし、大宮市亡命市役所が好評をいただいていて、ある日元大宮市民の人から連絡が来たんです。「ネットだけでなく署名も集めたらどうでしょう」って。

 署名活動を行なっているうちに、2003年の市議会選挙に出ることになり、落選したものの多数の票をいただきました。その後、また引きこもっていたんですが、2007年の統一地方選挙に出馬して、今度は当選したんです。


── 当選後も同サイトのテイストは変わっていませんが、市議会議員としての公式サイトは作成しないんですか?

吉田 その気はないですね。全国民にアピールしたい国会議員ならいざしらず、市議会議員ですから。

 これだけインターネットが普及したといっても、お年寄りにはまだまだパソコンを使ってない人も多いです。そうした人には、インターネットで公約を発表しても届かない。ビラを直接配った方が、よほど言いたいことが伝わるんです。だから今でも市内の一軒一軒を回って、手作りのビラを配っています。


── 市議会議員のお仕事が忙しそうですが、世界飛び地領土研究会の更新は今後も続けますか?

吉田 前みたいに毎日集中してってのはできないだろうけども、ポチポチ更新していきたいとは思っていますね。


── 最後に、今一番注目している飛び地を教えてください。

吉田 南アフリカに昔あったホームランドです。アパルトヘイト時代の政府が、黒人だけの国を南アフリカ内部に10カ所設立したんです。南アフリカの人口は85%が黒人ですから、普通に選挙すると白人が国を支配できなくなる。だから国内の白人比率を増やすために、黒人だけの国家を作ったんですよ。

 国際的にはインチキ国家ということになっているので、誰もまともに研究しようとしない。南アの政策を批判する文書はあっても、ホームランド内部の資料は現在ほとんどありません。しかし、そこには独自の軍隊や警察があって、大統領も首相もいたんです。誰も手をつけていないこともあって、かなり興味深いです。


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筆者紹介──古田雄介


建設現場と葬儀業を経てデジタル&サブカルライターに転身。デジタルと言いつつ、“古田雄介の週末アキバPick UP!”(ITmedia)など、足で稼ぐ記事が多い。当連載では、大好きなサイトの管理人さんに直接会える喜びを堪能しています。自ブログは“古田雄介のブログ”。



*次回は10月1日掲載予定



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