ワイザーに捧ぐ贈り物
連載第3回「混迷するユビキタスの未来」において、本来の意味を十分理解されないまま、日本でトレンディーな宣伝文句として濫用されている「Ubiquitous(ユビキタス)」について憂いを述べた(参考記事)。ユビキタス・コンピューティング※1概念の生みの親であるマーク・ワイザーが現在も健在であれば、おそらくはそのラベルを捨て去り、「透明なインターフェース」をコアコンセプトとした新しいビジョンを作り上げていただろうことも……。
※1 Weiser, M. The Computer for the 21st Century. Scientific American, 1991, 265 (3), pp. 94-104.
'99年に私たちが発表した「musicBottles※2」(ミュージックボトル、音楽の小瓶)は、その「透明なインターフェース」の概念を自分なりに解釈して形にした作品である。これは、道半ばにしてこの世を去ったワイザーに捧げる贈り物※3でもあった。
※2 Ishii, H. Bottles: A Transparent Interface as a Tribute to Mark Weiser, in IEICE Transactions on Information and Systems, Vol. E87-D, No. 6, pp. 1299-1311, June 2004
※3 Ishii, H., Mazalek, A., Lee, J., Bottles as a Minimal Interface to Access Digital Information (short paper), in Extended Abstracts of Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI '01), (Seattle, Washington, USA, March 31 - April 5, 2001), ACM Press, pp.187-188
「Tangible User Interface(TUI、タンジブル・ユーザー・インターフェース)」の目的は、物理世界における人とモノとのインタラクションをベースにして、コンピューターの内部にあるデジタル情報とのインタラクションをシームレスに融合することにある。物理世界そのものをデジタル世界とのインターフェースにする道が開け、現在の複雑かつ不透明なデジタル世界への窓口を、認知的に「透明」にすることが可能になるのだ。
透明なインターフェースの追求
ミュージックボトルは、この「透明なインターフェース」のコンセプトを可視化・可触化し、モノの持つメタファーに加えて情緒的・審美的な価値にも注目しつつ、「ミニマル・デザイン」を意図的に追求した作品である。
人類が数千年に渡って使ってきたガラス製のボトル。そのメタファーとアフォーダンスをデジタル世界に拡張することにより、ミュージックボトル・プロジェクトはインターフェースの透明性(transparency)を追求する。ガラスボトルをデジタル情報のコンテナおよびコントローラーとして使い、フタの開け閉めという単純な操作だけでデジタルコンテンツへのアクセスを実現するシンプルなインターフェース。このコンセプトの検証のため、世界各地の展示会でデモを重ねてきた。
多くのデザイナーやアーティストの協力を得て、クラシック、ジャズ、テクノなどの音楽コンテンツを作成し、'99年の夏に開催された「SIGGRAPH '99※4」でミュージックボトルを初めて発表した。その後、米国だけでなくアジアや欧州の展示会/会議においても好評を博し、'00年の「IDEA※5」ではコンセプト製品が対象の「Design Exploration」部門で銀賞を受賞。新しいセンサー技術の開発※6には、MITの多くの同僚の力を借りた。
※4 「SIGGRAPH」は、米国コンピューター学会の国際学会であると同時に、CGやインタラクション技術に関する世界最大のイベントでもある。そのときの発表内容は次の論文を参照:Ishii, H., Fletcher, R., Lee, J., Choo, S., Berzowska, J., Wisneski, C., Cano, C., Hernandez, A., and Bulthaup, C., musicBottles, in Conference Abstracts and Applications of SIGGRAPH '99 , Emerging Technologies, (Los Angeles, California USA, August 8-13, 1999), ACM Press, pp. 174.
※5 北米工業デザイナー協会(IDSA)と、米国の「Business Week」誌が共催する「IDEA」(Industrial Design Excellence Award)は、優れた工業デザインに贈られる権威ある賞。いくつかの部門に分かれており、「Design Exploration」部門は実際に製品が販売されていないコンセプト製品が対象になる。
※6 ミュージックボトルのシステムでは、テーブルの下に取り付けたアンテナコイルが机の上に電磁界を作り出し、タグを付けたボトルの存在と開け閉めにより起きる電磁界の変化を電子回路で検出、それぞれのボトルに対応したプログラムを実行するとともにLEDの光をコントロールする仕組み。アンテナコイルに存在する複数のタグを、同時かつリアルタイムに検出できるのが特徴である。これは、メディア・ラボの同僚であるジョー・パラディーソ教授の開発したセンサー技術をベースにしている。
(次ページに続く)
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