前回の記事では『Windows Media Player』と『iTunes』を比較し、仕様がかなり違うと書いた。WMPは音楽をアルバム単位で聴きやすい。一方、iTunesはアルバムを頭から通して聴こうとすると、ひどく不便な場合があると書いた。
それはいったいなぜなのか? 今回の話はここから始まる。
古きよきアルバムトータルコンセプトか、新世代の単曲リスニングか
実はこれってどっちがいい悪いの問題じゃない。それぞれがターゲットにしているユーザ層のライフスタイルと、寄って立つ企業戦略がちがうのだ。いや私の想像ではあるが。
ひとことでいえばWMPは、古き良き“アルバム・トータルコンセプト主義”に対応している。かたやiTunesは、音楽配信時代の“単曲リスニング志向”にもとづいているように見える。
私みたいなおっさんがロックを聴き始めたころ。例えばローリング・ストーンズの『Sticky Fingers』(1971年)のレコード・ジャケットをなで回してはニヤついていた。好きなバンドのアルバム・ジャケットを触るだけでシアワセだった。
特にSticky Fingersのジャケットはアンディ・ウォーホール作であり、ジーンズの写真のまんなかには本物のファスナーがついていた。あのズボンのチャックを上げたり下ろしたりするのがうれしい……その行為こそがすなわち、Sticky Fingersを聴くこととイコールだった。
そこではレコード盤という固形物を所有するのが、ローリング・ストーンズを聴くことの一部でありえた。棚に収納するのはもちろんアルバム単位、音楽を聴くのもアルバムごとである。
それだけじゃない。ミュージシャンはアルバム単位で作品を世に出してるんだから、彼らを崇拝する自分も同じようにアルバム・レベルで音楽を聴きたい、てな思い入れもあった。
そんな価値観の私(の世代)にとっては、たぶんiTunesよりWMPのほうが使いやすいのだろう。
かたや音楽を聴き始めたときにはすでに楽曲配信が存在し、好きな音楽を曲単位で買ったり聴いたりする人にはiTunesがぴったりくる。もちろんiTunesは音楽配信という自社の事業を推進/定着させる一翼をになっているわけだから、それ(単曲リスニング)向きの仕様になっている。
こういうことじゃないだろうか。
この連載の記事
-
第9回
トピックス
スルーが効く理由(わけ)、効く場合 -
第8回
トピックス
小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ -
第6回
トピックス
iTunesの仕様に疑問をもつヤツはいないのか?〈前編〉 -
第5回
トピックス
SNS「禁煙するぞ.jp」で禁煙するぞ -
第4回
トピックス
ブログを炎上させる感情とホンネ -
第3回
トピックス
ここがヘンだよ! mixiの“告げグチ”機能 -
第2回
トピックス
セルクマする理屈、しない理屈 -
第1回
トピックス
ほめる“はてブ”、けなす“はてブ” -
第-1回
トピックス
松岡美樹の“ネットメディアの心理学”〈目次〉 - この連載の一覧へ