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アキバ・キーマンインタビュー 第12回

【アキバ・キーマンインタビューNo.12】

「らーめん缶」の生みの親、麺屋武蔵の店主・山田雄氏に開発秘話を聞く!

2007年06月16日 23時30分更新

文● 子田 聖子

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秋葉原の新名物に? 喜んでもらえれば大歓迎!

チチブデンキ

「おでん缶」でお馴染みのチチブ電機の自販機に「らーめん缶」も加わった

――秋葉原には「おでん缶」という名物がすでにあり、「らーめん缶」は新名物として期待されています。それについてはどう思われますか?
【山田】 もう、山田雄の「らーめん缶」が、秋葉原の人たちのオモチャになって喜んでもらえれば大歓迎。僕のラーメンを応援してくれる人には、ネットでラーメンについていろいろ書いている人も多い。そういう人たちが楽しんでくれれば、秋葉原に限らずどこの地域で話題になってくれてもうれしい。

――今は「チチブ電機」などで販売されていますが、今後販売場所は増えますか?
【山田】 オファーは、いろいろ来ているんだけど、生産が追いつかない。予定としてはセガのゲームセンターで販売することが決まっています。コンビニやスーパー、いろんなところで販売できればいいと思っているけど。年内にはちゃんと供給できるようにしたいね。

【UMAI 山崎】 奈良の高速道路のサービスエリアに入ったり、オフィスで夜食用に置きたいという申し出も来ています。初期ロットで、マーケティングをかねようと思ったら、ドカンときちゃって。

【山田】 まあ、新しいカテゴリーの商品だから、反響はある程度あると確信していたけれど、ここまでとは思っていなかったなあ。だいたい、僕が新しいことやると「儲けようと思って!」とか非難囂々なんだけど(笑)、今回は90パーセント評判がいいんだよ。「いいことやってくれた!」と言ってもらえる。いつも支えてくれるラーメン好きな人が「けっこういけてるじゃん!」って言ってくれるのがうれしいんだよね。

山田雄氏

プロフィール:山田雄(やまだたけし)。1953年東京都生まれ。高校卒業後、アパレル業界に就職し'80年、原宿に洋品店を開く。'83年にはアパレルメーカーを設立、年商23億の青年実業家に。しかし、バブルの崩壊で数十億の借金を背負う。その後、自らラーメン用にと「サンマの煮干し」を開発し、ラーメン屋になることを決意。'96年、「麺屋武蔵」を青山にオープン。2年後、店を新宿・小滝橋に移し、さらにエビ油の発明も加わり行列のできる店になった。屋号は五輪書にある「万事において我に師匠なし」という言葉が好きで「麺屋武蔵」に

【取材協力】

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