メルマガはこちらから

PAGE
TOP

CRISPR/Cas9技術を用いた世界初の医薬品開発の成功からみる特許紛争リスク

1 2 3

具体的な目標のない時期(大航海時代)でのアライアンス成功事例

 他社特許のライセンスは、当然早期に交渉した方が得られ易く、後期になるほど足元を見られる傾向がある。早期に交渉してライセンスを得た事例としては、米アルナイラム・ファーマシューティカルズ社(Alnylam Pharmaceuticals, Inc.)のOnpattroが挙げられる。

 Onpattroは、難病であるトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの治療薬である。アルライナム社は、Onpattroの有効成分であるsiRNAの安定化技術に関してアイオニス・ファーマシューティカルズ社(Ionis Pharmaceuticals, Inc.)からライセンス導入をしているが、アイオニス社は同一疾患に対するアンチセンスオリゴ(Tegsedi)をほぼ同時期に開発し、ほぼ同じ価格で提供され、市場で完全に競合している。

 このライセンス事例の成功は、おそらく核酸医薬が海の物とも山の物ともわからなかった2000年代初頭に、siRNAに対するアイオニスの豊富な特許ポートフォリオのライセンスを得ることに成功したからに他ならないと筆者は考えている。

 もし、市場での競合が判明した後であれば、同効薬に対してライセンス許諾をすることは難しいと考えられるが、2000年代初頭の時期はsiRNAとアンチセンスオリゴで棲み分けたうえでのライセンスによりお互いが利益を最大化できると大雑把に考えていたに違いない。

 このような具体的な目標のない時期(大航海時代)にはアライアンスを形成して知的財産を含むアセットを共有し、力を合わせて新しい治療(大陸)を発見しようとするのは合理的な戦略であるように思われる。興味深いことに、アルライナム社は、Onpattroに関し、siRNAのデリバリー技術として米アービュータス・バイオファーマ社(Arbutus Biopharma Corp)から脂質ナノ粒子に関する特許ライセンスを得ている。このように、一つの医薬品を開発するためにあらゆる可能な技術導入が模索され、最速の開発を達しているように見受けられる。

 技術導入の結果、アルライナム社は、アイオニスらによる競合製品の承認の約2ヵ月前にFDAから承認を得たが、FDAはこの医薬をファースト・イン・クラスの医薬品と位置づけ、この画期的な医薬品の承認に世界の注目を集めた。承認が2か月先行したことによる経営インパクトは大きかったものと思われるが、この事例は積極的な技術導入による早期開発の経営上の重要性を浮き彫りにするものである。

特許リスクの対処方法及び開発速度の向上の問題

 さまざまな基盤技術を活用して早期に実用化することは、ベンチャー企業には不可欠である。特許権者側の理屈としては、市場で競合しなければ、基盤技術についてはライセンス導出しても自社の開発に害は生じにくく、また自分達が挑まない市場からも利益がもたらされるのでライセンス導出は有効である。一つの基盤技術をさまざまな市場に向けてライセンスアウトすることにより、特許収益を最大化する戦略がなされる場合、ライセンスを与える側及び受ける側の両者にとってメリットがある。

 これに対して市場で競合する場合には原則的にはライセンスを取得することは困難である。しかし、市場で競合する場合であっても、ファースト・イン・クラスやベスト・イン・クラスとしてある医薬が薬事承認を得ると、特許によりその製品を妨害してよいのかといった問題が生じ、特許権者側が権利行使を躊躇し得る。医薬が生命にかかわる場合や、強い患者団体が存在する場合には特にそのような側面が顕在化する。したがって、誰よりも早く新しい医薬を供給すること、または誰よりも優れた医薬を供給することが重要であると考えられる。ここでのタフな交渉を避ければ、一定数のイノベーションの芽が花開くことなく、その芽を摘まれてしまうことになりかねない。

 開発成功時の医療的/経済的利益への期待が大きい場合には、他社特許を理由として開発を中止するのではなく、特許回避をするわけでもなく、むしろ開発を加速することが重要な場面もあるであろう。したがって、特許侵害リスクから安易に逃げず、しかし、妨害が成立するリスクも考慮して、戦うべきかどうかを検討することもまた、経営上の重要性を有すると考えられるのである。

 ところで少し脱線するが、このテーマに関連して一般的な問題として米国の開発した技術はライセンス導入が可能な場合であっても、導入時および導入後に高額な費用を要求される場合が多く、日本のバイオベンチャー企業が技術の導入に躊躇している事例は少なくない。しかし、日本のバイオベンチャー企業では、世界展開のためにはグローバル企業に技術導出をすることがほとんどであるから、特許ライセンス料はグローバル企業の資金により対応されることもあるであろう。この意味では値段が重要な開発ではライセンス導入に苦戦するかも知れないが、アンメットメディカルニーズに向かう開発は高額な特許料の壁を乗り越えられる可能性があるし、開発品には高額な特許料の壁を乗り越えるほどの価値を付与するべきなのであろう。

 したがって、ライセンス導入の門戸が開かれている場合、単にライセンス料が高い等の理由で短絡的に特許回避を決定し、回避のための重複開発をしたり、一歩劣る技術を採用することが好ましいのかについては、もう一度考え直す必要があるのではないかと筆者は考えている。このような戦略は、ファースト・イン・クラスやベスト・イン・クラスの開発を阻害する結果となり、かえって経営上の重大リスクをもたらし得るためである。

 話を戻すと、今回の事例では、競合企業であるエディタス社が独占権を有している関係でライセンス導入が難しいのではないかと予想されている特許に関する事例であるため、より一層タフな交渉が求められると思われた。しかし、2023年12月13日付けエディタス社のプレスリリースによるとエディタス社はバーテックス社に対して非独占的ライセンスを供与したとのことである。エディタス社による米国証券取引委員会への報告書によると、ライセンス契約のアップフロントは5000万ドル、さらなる5000万ドルの一時金(時期不明)、および2034年までの1000万ドル~4000万ドルの年間ライセンス料に及ぶ契約とみられる。このような承認獲得後のライセンス締結は、バイオベンチャー企業を含むあらゆる企業体の開発における特許リスクの対処方法及び開発速度の向上の問題について、改めての検討を要求するものである。


※著者プロフィール
大野総合法律事務所 パートナー 弁理士 森田 裕

東京大学大学院理学研究科生物科学専攻修士課程修了後、独立行政法人理化学研究所ジュニアリサーチアソシエイトに入職。2006年3月 筑波大学大学院人間総合科学研究科分子情報・生体統御医学専攻博士課程修了。同年4月に独立行政法人科学技術振興機構に入社し、特別プロジェクト推進室および研究プロジェクト推進部に所属し、アカデミア発イノベーションやスタートアップの支援環境の充実の必要性を考えるようになる。2011年2月、協和特許法律事務所入所後、弁理士登録。2014年6月、大野総合法律事務所入所。2020年1月 パートナーに就任。2018年度から特許庁知財アクセラレーションプログラム(IPAS)知財メンターに就任。2022年、第3回「IP BASE AWARD」【知財専門家部門】グランプリ受賞。

「ASCII STARTUPウィークリーレビュー」配信のご案内

ASCII STARTUPでは、「ASCII STARTUPウィークリーレビュー」と題したメールマガジンにて、国内最先端のスタートアップ情報、イベントレポート、関連するエコシステム識者などの取材成果を毎週月曜に配信しています。興味がある方は、以下の登録フォームボタンをクリックいただき、メールアドレスの設定をお願いいたします。

1 2 3

合わせて読みたい編集者オススメ記事