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前田知洋の“マジックとスペックのある人生” 第77回

IT業界のマジックみたいなこと iPhoneに搭載されたニューラルエンジン

2018年10月09日 17時00分更新

文● 前田知洋

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 筆者の仕事はマジシャン。とはいっても、本当に不思議なことができるわけではありません。マジックが不思議に見えるには、裏側にロジカルな仕組み(タネ)だとか、観客に喜んでもらうための普遍的なストーリーが必要なわけです。

 たとえば「ハンカチの中からハトが出現」なんてマジック。実現するためには、「はじめからハンカチの中に鳩がはいっている」か、「マジックの途中でコッソリとハンカチの中に入れる…」、くらいしか方法はないわけです*。テクノロジーの発達した現代なら、ハンカチや空間に鳩の映像をバーチャルに投影する…、なんてデジタル的解決策もあるかもしれませんが…。
*(「ハンカチの中で卵を温める…」という方法を考案したマジシャンもいましたが実現しませんでした…笑)

1899年のポスター。長い間、鳩やウサギなどを出現させるのはマジシャンの定番のトリックだった

肝心なのはメソッドじゃない

 多くの人は、マジックはタネの部分に興味を持ち、「タネこそが一番大事」と誤解しています。しかし、この仕事の本当の秘密はそこではなく、肝心なのは、その「不思議なこと」に社会が価値を見出すかどうか。つまり、メソッドではなく、その結果の部分にクライアントはお金を払ってくれるわけです。つまり、観客がマジックを見て「感動した」とか「幸せを味わう」かどうか…。

 メソッドへの誤解は、ほかの世界でもよく起きます。IT業界でもそう。たとえば、電子レンジに「ポップコーンを作って!」と頼めば「極上のポップコーンができるらしい」という話…。夢の通貨といわれていた仮想通貨の残高がある日突然と消えてしまったり…、とマジックみたいな不思議なことがたまに発生します。これは、あまりにも世間がメソッドの部分に注目しすぎて、そのテクノロジーが生み出す現実の価値の評価がおろそかになっているからだと思うんですよね。

 ユーザーにとって大切なのはメソッドではなく「ちゃんと美味しいポップコーンができること」や「お金が消えないこと」という結果です。同業者やライバル企業なら、メソッドに興味があるのかもしれませんが…。

iPhoneに搭載されたニューラルエンジンのこと

 新しいiPhoneに搭載された「A12 Bionic」チップのニューラルエンジン。ちまたでは「AIが搭載された…」なんて評論する人もいますが、筆者としては「ニューラルエンジン=AI(人工知能)」とくくるのは、ちょっと乱暴な表現な気がしているんですよね。

 Appleはニューラルエンジンの中身を公開していません。しかし、Keynoteでの簡単な機能紹介やデベロッパー(アプリ開発者)向けに配布している「Core ML」などを見る限り、ニューラルエンジンはカメラ機能、とくにARやFace IDを含む人物判別機能の強化、自然言語(人間の話す言葉)解析の強化などに使われていることがわかります。

 つまり、いままでiPhoneのCPUやGPU、アップル社内のサーバーが担当していた処理をニューラルエンジンに任せたことで速度の向上と省電力化をはかり、デベロッパーがアプリ開発と機械学習を組み合わせることを可能にしました。

 ちなみにAppleによる「Core ML」が2017年6月、初代ニューラルエンジン(A11 Bionic)が2017年9月のリリース。機械学習はAIの研究課題の一つにすぎず「ニューラルエンジン=AI」は、やはり乱暴かと…。もちろん、そんなことはAppleは公式には述べていません。

 ここまでがメソッドの話です。

新しいiPhone に搭載されたA12 Bionicのニューラルエンジン(Smart compute system)

ニューラルエンジンや機械学習したアプリは何を生み出すか?

 それでは、ニューラルエンジンがユーザーにどんなふうに役に立つかです。まず、上でも触れましたが、いままでCPUやGPUが担当していた処理をニューラルエンジンに任せたことで、速度向上や省電力になること。そして、Siriなどで使われる自然言語処理をAppleのサーバーに送受信する頻度を減少させ、ユーザーのプライバシーの安全性が向上すること。

 さらに、Apple本社のサーバーを利用していた自然言語処理を軽減させることで、通信トラフィックを減らし、さらにApple社内のエネルギー負担も減ることになります。そんな意味ではかなり進歩的なハードといえます。

 デベロッパーにとっては、GPSデータのない写真がどこで撮影されたかを推論するアプリも開発可能になります。さらに、今回のKeynoteでは、Siriに朝の用事を伝えておくと、用事を済ませられる道順と時間を自動的にナビゲートするデモが紹介されました。

自然言語を理解して道順や用事を教えてくれるSiri Shortcuts

ネーミングと規模が示す世界観

 新聞など大手メディアでは「AIが人間の能力を超える、シンギュラリティ!」や「AIでなくなる仕事」みたいな、センセーショナルでダイナミックな言葉があふれています。このごろは「そうはならないかも…」と、AIでひろげすぎた風呂敷をたたむ意見も少しずつ目立ってきました。

 Siriを「AIスピーカー」ではなく「パーソナルアシスタント」、A12やA11チップに搭載されたアーキテクチャの一部を「AIエンジン」ではなく「ニューラルエンジン」と名付けたAppleのセンスは、なかなか当を得ていると筆者は思っています。

 AIでいきなり世界を変えようとするのではなく、まずユーザーの身の回りから、少しずつ便利に、幸せにする機能を補充していく…。

 そんな規模感に筆者が共感するは、ジェット機を消したり、美女をライオンに変える…という大規模なマジシャンではなく、目の前の少人数の観客に見せるスタイルのマジシャンだからなのかもしれません。

前田知洋(まえだ ともひろ)

 東京電機大学卒。卒業論文は人工知能(エキスパートシステム)。少人数の観客に対して至近距離で演じる“クロースアップ・マジシャン”の一人者。プライムタイムの特別番組をはじめ、100以上のテレビ番組やTVCMに出演。LVMH(モエ ヘネシー・ルイヴィトン)グループ企業から、ブランド・アンバサダーに任命されたほか、歴代の総理大臣をはじめ、各国大使、財界人にマジックを披露。海外での出演も多く、英国チャールズ皇太子もメンバーである The Magic Circle Londonのゴールドスターメンバー。

 著書に『知的な距離感』(かんき出版)、『人を動かす秘密のことば』(日本実業出版社)、『芸術を創る脳』(共著、東京大学出版会)、『新入社員に贈る一冊』(共著、日本経団連出版)ほかがある。

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